四日市メリノール学院中・稲垣愛ヘッドコーチ指導者インタビュー「基礎基本の徹底で選手の成長を促す」[リバイバル記事]
コロナ禍で改めて実感したバスケットを“楽しむ”大切さ
――朝明中からメリノール中に引き継がれたものの一つに、「できる できる 絶対できる」という合い言葉がありますね。これは稲垣コーチが考案されたのでしょうか?
この言葉は、人からいただいたものです。私自身、会社勤めを辞めた後に縁あって公立高校で講師をしていました。その高校はラグビーが強くて、その先生からもいろいろ勉強させてもらって。そのとき「子どもたちはみんな『どうせ俺なんて』と諦めている。できる、できる、絶対できると自分の可能性を信じさせることが大事」という話を聞いて、その言葉をいただくことにしました。
――2017年、メリノール中に赴任された経緯を教えてください。
最初はメリノールの高校でバスケットを強化してくれないかと声がかかり、即答でお断りしたんです。私はやはり中学の指導にやりがいを感じていたので。そうしたら2、3日後に、では中学校でいいので来てくれませんかと話が来ました。迷いましたが、朝明中では私は外部コーチの立場で、練習以外の時間は子どもたちの様子が全く分からない。もちろん子どもたちには「私が見ていない間をどう過ごすかが大事だよ」とは伝えていたのですが、もっと毎日子どもたちと一緒にいたいなと思って移ることを決めました。
――メリノール中での指導の環境はいかがですか。
学校の先生たちがものすごく熱心に応援してくださるので、すごくありがたい環境です。周りの応援が子どもたちの励みにもなりますし。コロナ禍で今年の全中は見に来ていただくことができなかったのですが、普段は県大会、東海大会、全中と会場に足を運んで応援に来てくださる先生たちもいて、すごくうれしいですね。
――2018年には新しい体育館もできました。そのオープニングゲームでは、桜花学園高と愛知学泉大で公開試合をしたのですよね。
はい。ありがたいことに、井上眞一先生と木村功先生が「じゃあ俺らがやるか」と言ってくださって。こんな機会はなかなかないですし、地域の子どもたちに“本物”に触れる機会を作ってあげたくて、近隣の中学校に良かったら見に来てくださいと声をかけたところ、何百人もの中学生が来てくれました。高校や大学のハイレベルなプレーを間近で見て、中学生たちも大きな刺激を受けたと思うので、本当に感謝ですね。
――メリノール中でも朝明中のときと同様、指導2年目の2018年に全中に出て、その翌年にも2年連続の出場を果たしました。
あのときも子どもたちがよく頑張ってくれました。2年連続でベスト16でしたが、その負けからも多くを学びましたね。特に2019年の和歌山全中では、すごく仲のいい八王子一中が相手。お互い何度も練習試合をして「全中の決勝で会おう」と言い合う関係だったので、決勝トーナメントの組み合わせが決まったときには桐山先生も私も「よりにもよって!」と頭を抱えました(笑)。でもその試合も本当に楽しかったです。4Qに入るまで同点で、やれることはやったかなと。試合後は、桐山先生が勝ったのに泣きながら「お前の時代がもうすぐ来るからな」と声をかけてくれました。杉浦先生といい桐山先生といい、偉大な指導者は懐が広いです。試合を心から楽しむことができましたし、結果以上の収穫がありました。
それにその試合、なかなか調子が上がらなくて悔しい思いをしたのが当時2年生の黒川心音(桜花学園高)と東紅花(福岡大附若葉高)でした。負けた日の夜に2人が私のところに来て「先生、明日練習を見てください」と言ってきたんです。それですぐに帰って練習しました。
3年間、あの2人がどれだけシュートを打ってきたか一番そばで見ていました。今年1月のJr.ウインターカップも決勝は東のシュートが当たらなかったのですが、「お前で負けるなら全然いい。何本打っても構わないから思い切りやれ」と言いました。そうしたら後半に爆発してくれて、延長に持ち込む3Pシュートも決めてくれて優勝できた。東のメンタルには、ゲーム中でもほれぼれしました(笑)。あのときも試合が終わってほしくないくらい、本当に楽しかったですね。
――“楽しむ”ことを、稲垣コーチ自身大切にされているようですね。
コロナを経験して、より強くそう思うようになりました。言ってしまえば“たかがバスケット”だと思うのですが、そのたかがバスケットをどれだけ一生懸命ひたむきにやれるかが大事なのではないかと思うんです。中学校の3年間って本当にあっという間に終わってしまうので、楽しまなきゃ損。もちろん、うまくいかなくてつらい日や苦しい日もきっとありますが、それも含めて楽しんで、逃げずに立ち向かってほしいと思います。社会に出てからの方が、もっとしんどいこともありますから。夢中になって一生懸命取り組むからこその楽しさを感じてほしいです。
――昨年(2020年)はコロナ禍で地元全中の中止も経験されました。
中止が決まったときは緊急事態宣言中で、チームが解散していたんです。ネットのニュースでパッとその情報が出たのが、忘れもしない私の誕生日。なんて苦いプレゼントだろうと思いましたね。一番つらかったのが、子どもたちにすぐには会えなかったこと。本当は顔を見て、全中がなくなったよと伝えたかったし、どんな表情で、どんな気持ちでそれを受け止めたのか近くで見守りたかった。それができなかったことがすごくつらくて心配でした。
そのときは子どもたち全部員48人に、一人一人手紙を書きました。この苦しい時間があったから今の自分があると、そんな未来になるように今を踏ん張ろうと。そんなことがあったので、よりJr.ウインターカップでの優勝は感慨深かったです。子どもたちがよく乗り越えてくれたなと思うし、コロナ禍の大変な状況の中でいろいろな対策をしながら開催してくださった関係者の方たちには本当に感謝しています。
地元でやるはずだった全中も、三重県の先生たちが開催に向けてずっと準備を頑張ってくださっているのを知っていました。中止が決まって中心となって準備してくださった先生に1年のお礼のラインをしたのですが、そのとき「メリノールが躍動する姿、優勝して先生を胴上げしている姿を思い描いて準備をしていたので、すごく悔しいけれど、これからも頑張ってください」という返信をくださいました。私も三重県の先生たちがずっと応援の声をかけてくれて、それで自分自身を奮い立たせてきた部分もあったので、その言葉には泣きましたね。
取材・文/中村麻衣子(月刊バスケットボール)
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