中学(U15)

2023.04.15

四日市メリノール学院中・稲垣愛ヘッドコーチ指導者インタビュー「基礎基本の徹底で選手の成長を促す」[リバイバル記事]

偉大な先輩指導者たちに学び全国大会で貴重な経験を積む


――指導2年目の2008年には、全中に出場しました。


外部コーチになって1年目、当時の3年生が「全中に出る」という目標を自分たちで立てたんです。それなら私も中途半端なことはできないなと思い、勤めていた会社を辞めて指導に専念することにしました。それでも正直、まさか2年目で出られるとは思っていなくて、あれよあれよと勝っていけたことには驚きでした。1年目の3年生含め、当時の選手たちが高い目標に向かってよく頑張った結果だと思います。
 あの年は県大会の1回戦、3Qで23点くらい離されていた点差を4Qでひっくり返して勝ったんです。勢いそのままに県大会で優勝して、東海大会では杉浦裕司先生(現東海学園大監督)率いる若水中に勝って全国に出ることができました。そのとき、杉浦先生がまだ2年目の私に対して、試合後「ここからの東海はお前だからな、頑張れよ」と声をかけてくださったことを鮮明に覚えています。全中を逃して悔しいはずなのに、そんなふうに言ってくださるなんてすごい指導者だなと思いました。
 全中では得失点差で予選リーグ敗退でした。勢いで来たのはいいものの、全国はそんなに甘い世界ではなかったなと痛感しましたね。

――その後、2010年にも全中に出場されましたね。

山田愛(元ENEOS/海外挑戦中)や、四日市メリノール学院中(以下メリノール中)で今、アシスタントをしている高橋成美の代です。この2人は1年生のときからスタメンで、2008年の新潟全中も経験していたのでキャリアがありました。
 2人が1年生のときは、たとえミスをしても周りの3年生たちが「どんどんやっていいよ」と声をかけてくれました。当然、1年生が入ってスタメンを外れる子もいたわけですが、全く腐らず一生懸命やってくれて…。そういう3年生の姿を見て受け継いでいったことが、2010年の全中出場につながったと思います。

――東海地区はレベルの高いチームが多いですが、もまれて成長できた部分はありますか。 

それはすごく大きいと思います。特に杉浦先生と(クラブチームの)ポラリスの大野裕子先生には、本当にお世話になりました。バスケットの強化以前に、子どもたちとどう向き合うべきか、指導者として大切なものを教えていただいた気がします。こうしなさい、ああしなさいとは絶対におっしゃらない2人なのですが、一緒に練習させていただく機会も多かったので近くで指導する姿を見ながら多くのことを学びました。大野先生はうちの追っ掛けなのではと思うほど応援してくれて(笑)、2010年の広島全中も見に来てくれました。杉浦先生、大野先生、そして八王子一中の桐山博文先生と、メリノールの男子を見ている山﨑修先生。この4人は私にとってすごく影響を受けた大きな存在です。

――2013年、準優勝を果たした全中では、準決勝で若水中と対戦しましたね。

あのときも、全中の直前まで若水中とずっと一緒に練習していたんです。“ライバル”というより“仲間”という感じでしたね。全中で杉浦先生はベンチに入れず2階の観客席にいたのですが、試合後、私が階段を上がっていったら杉浦先生が両手を広げて待っていてくれました。「よく頑張ったな」と。若水の保護者の方々も「愛ちゃん先生、ありがとう。次も頑張ってね」とみんな声をかけてくださって、本当に温かいな、ありがたいなと思いました。

――その年は平野実月選手(トヨタ自動車)や粟津雪乃選手(東京羽田)を擁した年でした。前年は全中不出場でしたが、準優勝まで飛躍できた要因は何でしょうか?

入学した頃とは別人のように、選手たちがよく成長してくれました。それに前年に全中を逃したとき、2点差で浜松開誠館中に負けたのですが、選手たちに「何が足りなかったのか自分たちで考えなさい」と言ったんです。そうしたら、新チームでキャプテンになる平野が持ってきた答えが「“気付き”が足りませんでした」ということでした。「気付きが足りないからルーズボールやリバウンドが取れないし、仲間の不調にも気付けない。だから学校で何か困ったことがないか探します」と言ってきて、その一つとして朝に草抜きをすることになりました。それ以降、草抜きの習慣はメリノールでも続いています。コート外の私生活から“気付き”を磨こうと、選手たち自身が答えとして出してきたことは大きかったです。


取材・文/中村麻衣子(月刊バスケットボール)

タグ: 四日市メリノール学院中

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