Bリーグ

2023.03.26

張本天傑インタビュー「マッチアップしたくないなと思ってもらえたらうれしいですね」[リバイバル記事]

黄金期の青山学院大で主力となり数々のタイトルを獲得!


――高校卒業後は青山学院大に進学しました。

当時、U18の候補に選出されていたので、そこには強豪校の選手たちがたくさん集まっていて、大学進学の話にもなるんですよ。僕もありがたいことにいくつかの大学から誘いを受けたのですが、高校時代の悔しさがあったので、どうしても大学で日本一を経験したかったんです。だから、当時から練習が一番厳しいことで有名だった強豪の青山学院大に進学することを決めました。

大学のレベルというのは想像もできませんでしたし、僕が入学した当時の青学は全盛期のメンバーがそろっていたと思うんですよね。橋本竜馬さん(北海道)がいて、湊谷安玲久司朱さん(BEEFMAN・EXE)がいて、伊藤駿さん(秋田)、辻直人さん(広島)、比江島慎さん(宇都宮)というような感じでオールスター軍団だったんです。同期にも永吉(佑也/福岡)、畠山(俊樹/越谷)、小林遥太(仙台)とか。後輩にも野本建吾(群馬)や船生誠也(広島)、鵤誠司(宇都宮)がいるような世代でした。

そんなメンバーだったので、練習から競争もものすごかったです。とにかく試合に出ることで精一杯だったし、バスケットに対して考えることが増えました。どうやったら試合に出られるのか、うまくなれるのかって。高校まではそこまで考えなくても試合に出られていたので、大学1年生の頃に初めてずっとベンチに座っているという経験をしました。

――2年時からは主力として試合に出場し、プレータイムを得た中でインカレ優勝を果たしました。

関東トーナメント、新人戦、リーグ戦、インカレと4冠を達成しました。1年生の頃にも4冠を達成していたのですが、そのときはあまり試合にも絡めていなかったので…。ただ、主力として出場するようになった2年生の頃もいつベンチで干されるのか分からないという危機感を持ってプレーしていたので、慎重になったというか、チームや仲間に対しての責任感というのはすごく強くなりました。うれしいという気持ちもありましたが、責任感という方が大きかったですね。試合に出られない先輩たちがいる中で自分が試合に使ってもらっているんだから、活躍しないと先輩たちに申し訳ないという気持ちが強かったです。

青学では練習の質も高いし、トレーニングの厳しさが一番身に染みました。こんなにトレーニングをするんだって感じました。僕は円盤投げで全国優勝するようなゴリッゴリの選手と一緒にいつもベンチプレスをやっていました。もちろん重さの差はありますけど、いつもそういう選手と同じメニューをこなしていたので、それが練習よりもキツかったですね(笑)。

――3、4年時にはインカレの最優秀選手賞、関東トーナメントのMVPなど、個人賞も数多く受賞しました。この頃にはトップリーグ入りを見据えていましたか?

そうですね。卒業された先輩たちを見るとみんなトップリーグ入りをしていましたし、僕も頑張れば先輩たちのようになれるかもしれないという想像はしていて、3年生くらいから意識していました。

戦績で言えば、1つ上の比江島さんの代がインカレの決勝で東海大に負けてしまいました。それで4年生になってからは『何かを変えないといけない』と考えて、自分でチームを引っ張ってやるようにしていたんですけど、関東トーナメントで前十字じん帯を断裂してしまったんです。そこからインカレまでの5か月の中で何とか復帰することはできましたが、残念ながら優勝には届かず…。当時も優勝を狙えるメンバーだったんですけど、達成できなかったことが本当に悔しかったんです。それもあって次はトップリーグで、という思いでした。



取材・文/堀内涼(月刊バスケットボール)

タグ: 張本天傑 Bリーグ

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