Bリーグ

2023.03.26

張本天傑インタビュー「マッチアップしたくないなと思ってもらえたらうれしいですね」[リバイバル記事]

宇都直輝らと共に中部大第一高を全国区へ飛躍させる


――中学卒業後は中部大第一高に進学しました。常田健コーチからの誘いだったのでしょうか?

そうですね。常田先生から誘っていただきました。熱心に誘っていただいて、その熱意に心を動かされた点もありましたし、家も自転車で15分くらいの距離だったのでそれも大きかったです。それと、中学生の頃にジュニアオールスターのメンバーに入ることができて、そこで宇都直輝(富山)ともう1人の選手と3人で「一緒に中部大第一に行こう」って話をしました。県内で強かった安城学園高や静岡の藤枝明誠高からもお誘いいただいたんですけど、当時は県ベスト8くらいでそこまで強豪ではなかった中部大第一に行って「そういうチームを強くするのって格好良いよな」って話を宇都たちとしていたんですよね。それが中部大第一を選んだ理由です。

実際に入ってみると本当に練習がハードで、1年生の頃は練習中に吐いてしまうなんてこともよくありました。常田先生のスタイルが走るバスケットだったので、毎日陸上部並みに走る練習が多かったですね。今考えると、よく耐え抜いたなって感じです(笑)。

――体型もかなり絞られたのではないですか?

だいぶ絞られましたね(笑)。ガリガリになるくらいで、ご飯の量が練習量に追い付かないようなイメージです。バスケットのポジション的には高校ではオールラウンダーという感じでした。もちろん、ゴール下のプレーがメインではあったんですけど、将来的に考えるとずっとセンターをやるようなポテンシャルはないと先生は考えていてくれたんだと思います。僕の中では将来的にプロになりたいというところまでのビジョンは広がっていませんでしたが、先生としてはそういう考えがあったのかもしれません。

高校3年生のときに初めてウインターカップに出場することができたのですが、そこで全国レベルを体感したときに『こんなにうまい選手がたくさんいるんだ』って実感しました。そう考えたときにまだまだ自分は力不足だなって感じていましたね。

――とはいえ県ベスト8のチームを全国大会レベルに押し上げ、3年時には夏冬共に全国ベスト16の成績を残しました。

バスケット人生の中で一番成長できたのも、一番良い経験ができたのも高校時代だったと思います。そこでようやく自分が目指すべき明確な目標ができました。インターハイとウインターカップを経験できたのですが、僕の中ではベスト16止まりと悔しい思いを味わいました。愛知県内では無敵というところまでなれたのに、何で全国では勝てないんだろうって。

――高校時代で印象深い出来事は何ですか?

うーん、何だろう? 練習中に宇都とはよくケンカしていましたね(笑)。バスケットの面で意見が食い違ったりしながら毎日バチバチやっていました。 それくらいお互いに負けず嫌いで真剣にバスケットに向き合っていたので、やられたらやり返すというのを繰り返して、だんだんヒートアップしていって…みたいな(笑)。でも、練習が終われば何もなかったように仲良くしていたので、オン・オフの切り替えはできていましたね。あと、チームメイトがしょっちゅう実家の中華料理屋に来ていました。それくらいチームメイトとは一緒にいましたし、高校時代はバスケット以外考える時間も余裕もありませんでしたね。1年365日のうち360日くらいはバスケットみたいなイメージだったので(笑)。

常田先生からはバスケット以前に、とにかくメンタル面について言われていました。負けず嫌いな性格も高校の練習の中でより出てきましたし、あとは諦めない気持ちとか。メンタル面での成長は大きかったと思いますね。気持ちが第一で、シンプルなバスケットで勝つ。そういうことを高校で学びました。


取材・文/堀内涼(月刊バスケットボール)

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