Bリーグ

2023.03.25

桜井良太インタビュー「たくさんのお客さんの中でプレーするのが選手としての一番の喜び」[リバイバル記事]

能代工を破る大番狂わせ、ゾーンに入り驚異の51得点!


――桜井選手のキャリアを見ると、やはり高校3年時のウインターカップで能代工高を相手に51得点を記録し、番狂わせを起こした試合が目に留まります。

高校2年生のときにもウインターカップで能代工と対戦していて、そのときにはトリプルスコアくらいの大差を付けられてボコボコにされたんですけど、うちのキャプテンから来た年賀状に「今年は絶対に能代を倒そう」って書いてあったんです。で、3年生のウインターカップの組み合わせを見たら1回戦が洛南、2回戦が能代工という組み合わせでした。そもそも初戦の洛南にも勝てると思っていなかったんですけど、何とか勝てて。僕は引退試合のつもりで能代戦に臨んでいたんですけど、ただ負けるにしても一矢報いるというか『何か見せて最後の試合を締めくくりたい』と思っていました。

正直、試合中のことはあんまり覚えていなくて、後になってスコアシートを見返してみたら51得点だったって感じです。無心でやっていた試合でしたし、ゾーンに入るというか、そういう感覚だったかもしれません。シュートが入るとか入らないとかそんなことは一切気にしていませんでしたが、とにかくずっと楽しかった記憶があります。

――その活躍が『スラムダンク』の流川楓と重なったのか、世間から“リアル流川”と呼ばれていましたね。

実際にそういうふうに言われ始めたのは当時の試合映像が出回り始めてからで、それでいろいろな人に知ってもらったって感じでした。試合の直後にはそこまで言われなくて、時間差で言われたので照れくさい気持ちしかなかったです(笑)

――そのほか、高校時代で印象深かった出来事はありますか?

僕が入学する前年、四日市工が県予選で負けてしまって優勝を逃したことがありました。それがあった上で1年生のときのインターハイ予選で優勝することができて喜んだことは印象深いです。あとは高校3年生のインターハイですね。その大会で福岡大附大濠と対戦して勝つことができたんです。全国で強豪と言われていたチームに初めて勝つことができたので、それも印象深いです。高校時代は番狂わせのような試合が結構ありました。先ほどの能代工との試合がどうしてもフィーチャーされますけど、その前の洛南戦に勝ったことも奇跡的なことでしたし、インターハイの大濠戦も番狂わせでした。そんな1年だったので3年生の頃は楽しかったですね。

――その後、愛知学泉大に進学しました。東海地区の大学を選んだのには何か理由があったのですか?

それが、当時の僕は本当に知識もなくて何も考えていなかったんです(笑)。だから東海地区の大学に行ってもリーグ戦で関東の大学とも試合があると思っていて。当時、姉が関東の実業団でプレーしていたので関東周辺の大学の練習を見学に行ったりもしてくれたみたいなんです。で、僕の方はというと学泉の小野秀二監督(現能代工高コーチ)に誘われていて、学泉の練習がすごくしっかりしているといううわさも聞いていました。あと、僕は地元の友達と仲が良くて学泉なら愛知と三重で近かったので、それも良いかなと。これが学泉を選んだ経緯ですね。

学泉はスクリーンプレーの練習が多くてモーションオフェンスの中でボールと逆サイドでピンダウンスクリーンやフレアカットなどを多用していたんですけど、もう意味が分からなくて(笑)。先輩が何度も教えてくれるんですけど、今までそういうプレーをやったことがなかったので苦労しました。 あとはとにかく練習がキツくて、『バスケの練習ってこんなにキツいの?』って改めて実感しました。

――頭も体も使ったというわけですね。

まさにそのとおりです。高校生の頃は自分で1対1を仕掛けてばっかりだったんですけど、学泉ではチームとしての動きをした中でギャップを作って1対1を仕掛けるという感じだったので、今までやってきたバスケットとは大きく違いました。

――インカレなどでは東海地区以外の大学とも対戦することがあったと思います。その中でほかのチームとは異なる学泉大のカラーはどんなものでしたか?

一番はディフェンスだと思います。学泉はみんながディフェンスを頑張って(関東1部と比べると)能力の低い選手たちが能力の高い選手を多く擁するチームにどうやって勝つかというバスケットをやっていたので、まずはディフェンスでロースコアゲームに持ち込むこと。そこから練習してきたモーションオフェンスでノーマークを作ってイージーショットを決めていくというのが僕らのスタイルで、ほかのチームとは違う部分でしたね。

フォーメーションの一つとしてスクリーンプレーを使うチームはほかにもありましたけど、ボールを運んできて流動的に自分たちの感覚でスクリーンを使うようなチームは当時あまりなかったと思います。



取材・文/堀内涼(月刊バスケットボール)

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