3x3

2025.04.22

高橋芙由子(FLOWLISH GUNMA.EXE)、3x3人生の格言――FIBA3x3アジアカップ2025銀メダリストにインタビュー

「常勝白鷗大」の土台作りに貢献


——高橋選手はどんなふうにバスケットボールを始めたんですか?

実家の隣に住んでいた1歳年上の幼馴染が先に始めていて、その影響で小学校3年生のときに始めました。それまでは新体操をやっていたんですけど、あまり向いてないかなと思って転向しました。周りの人がみんなグンと足を高く上げている中で、私だけ腰のあたりみたいな。「芙由子ちゃん、やめておいてよかったね」と言われるような感じだったんですよ(笑)

——女子バスケットボールが盛んな地域だったんですか?

全然そんなことはありませんでした。特別な道筋ではなくて、ごく普通に自分の家の近くの小学校と中学校に通ってという感じです。ただ、私が進んだ秋田北中の先生がすごく熱を持って指導してくださる方で、自分たちのときは県大会で優勝して東北大会に出ることができました。ジュニアオールスターにも出場させてもらって、私たちは最後に千葉県に負けちゃいましたが、ベスト8までは進むことができました(2009年の第22回大会)。

——そこから桜花学園高に進まれましたね。

顧問の先生と一緒に教えてくださっていた方が、桜花学園高の井上眞一先生(20241231日に死去)とつながりがあって、そのきっかけで入れていただきました。私は当時、全国の強豪チームのことも何も知らなくて、入ってから「えっ! こんなすごいところに来ちゃったの!?」みたいな感じでした。でも、勇気を持って飛び込めたのは大きかったなって思います。

——憧れの選手はいましたか?

桜花学園高で入れ替わりの先輩だった岡本彩也花さん(2024-25シーズンはアイシン所属)です。今、すごく仲良くしてくれているんですけど、かっこいいなって当時から憧れている選手です。

——5人制でプレーしていた頃のハイライトと言ったら、どんな場面が浮かびますか?

白鷗大の4年生だったとき、オータムリーグで東京医療保健大と対戦した2試合かなと思います。もちろん、その後のインカレ決勝(東京医療保健大を73-62で破り、同大初の全国制覇達成)も強く印象に残っているんですけど、あのリーグ戦の2試合は、土曜日が1ポゼッション差、翌日の日曜日はオーバータイムになだれ込む接戦で、どちらも勝ちました。東京医療保健大とはずっと上位で競っていたので、試合だけで言えばあのリーグ戦が一番かなと思います。

——ご自分のプレーではどんなことを覚えていますか?

確か、ルーズボールを追いかけていた場面だったんですけど、そこからミラクルシュートみたいな感じで得点することができたんです。24秒ショットクロックがゼロになりそうなところで、もうとにかくボールを奪ってそこから「えいっ!」という感じで投げたら入って! ミツウロコの顧問(ミツウロコ女子バスケットボール部顧問を務める二見敦氏)もあの場面を覚えてくれていて話題に上がったことがありました。あの試合は、運よく自分に転がってきたチャンスがいっぱいあったので覚えているという感じです(笑)

※高橋は回想してくれた東京医療保健大との2試合は、2016年10月1日、2日に行われた。初戦は64-63で、翌日の第2戦も74-70で白鷗大が勝利。高橋は初戦で、9点差の劣勢から追い上げる過程での得点や、決勝点となるリバウンドからの得点など大いに貢献。2試合目も5点差を追う4Q終盤に値千金の3Pシュートを成功させ、勝利を手繰り寄せる力となった。白鷗大はこの年のオータムリーグで準優勝。その後のインカレで、本文でもふれたとおり初のインカレ優勝を成し遂げている。


©FIBA.3x3.AsiaCup2025

——桜花学園から白鷗大に進んで日本一。そして実業団の強豪として知られる秋田銀行、ミツウロコと5人制で手堅いキャリアを積み重ねられたと思います。3x3の世界に飛び込むまでの流れはどんなものだったんですか?

秋田銀行に関しては、やっぱり小笠原さん(現・デンソーAコーチの小笠原真人)に呼んでもらったのがすごく大きくて。小笠原さんとは、桜花学園高時代からデンソーで合宿をさせてもらっていたこともあってお声がけをいただいて、社会人の始まりから、小滝さん(現・東海大諏訪高の小滝道仁監督)の下での3年間を含め4年間プレーさせていただきました。熱血コーチたちの下で頑張って、4年目を終えたところで自分の中「やりきったな」みたいな区切りがついた感じがあったんです。

当時、一度はバスケットボールから離れて引退を決心しました。人材会社で営業職にチャレンジもしたんです。でも、「もういいかな」と思ってやめたつもりでも結局やっぱりバスケットボールがしたいなっていう気持ちが湧いてきて。

その頃、秋田銀行時代に3年間チームメイトだった矢上若菜さん(福島西高、専修大を経て秋田銀行に進んだガード。昨季はTOKYO VERDY.EXEに所属)が、1年早く3x3で活躍し始めていたんです。すごく仲良くしている彼女が本当に楽しそうにプレーしているのを見て、やってみたいなと思ったのが最初に3x3を始めるきっかけでした。

その後、ミツウロコに転職したときに一緒になった李人竹(り れんじゅ=明星学園高、共栄大からミツウロコに進んだセンタープレーヤー)が、「群馬で3x3を始めるんだけど、一緒にやらない?」と声かけてくれて、本格的に3x3の世界に飛び込むことにしました。「3x3って楽しいな!」と思わせてくれた彼女と、あのときプレーできたのは大きかったなと思います。


地域貢献にも積極的に力を生かしたい

——群馬での暮らしというのは、どんなところが気に入っていますか?

ちょっと秋田に似ているなと思います。車社会なところとか、商店街の雰囲気だとか、スポンサーの皆さんを含め私が関わらせていただいている皆さんとのお付き合いの感覚に、故郷に通じるものあって住みやすいと思います。

——地域おこし協力隊の活動もされていますね。

はい。前橋市からの委託事業で学校に指導に出向いたり、月に1回前橋市民を対象としてスポーツを推進するイベントを開催していたり。自分で企画して運営しています。

——故郷の秋田県でも高橋選手の力が生きる部分もあるように思いますが、どんな気持ちで見守っていますか?

そうですね、秋田に還元していきたいというのも常々思います。少子化の流れもある中で、3x3ってすごくいいんじゃないかと思うし! 有明さん(5人制元日本代表で3x3ではTOKYO DIMEの一員としてプレミア初代得点王となった秋田県大曲市出身の有明葵衣)をはじめとした影響力のある方とも一緒になって盛り上げていけたらなと思います。


©FIBA.3x3.WomensSeries2024

インタビューに応じる高橋の姿は、常にとても謙虚だった。成田空港でアジアカップ銀メダル獲得について聞いたときもそれは同じだった。自身が手にした銀メダルも得点王も、「3x3には長い間のいろんな歴史がありました。ここまでの道を切り開いてくれた全ての人に感謝しています」という気持ちとともに語られた。群馬県での社会貢献や秋田県への思いからも同じような謙虚さ、あるいは周囲への思いやりが伝わる。

「勝者としてふさわしいかどうかを考える」――恩師の金言をかみしめながら、これからを紡いでいく高橋。それを実践していければ、きっと多くの人に背中を押してもらえる生き方をしていくことができるだろう。

<関連リンク>
3x3.EXE PREMIER 2025 公式サイト
FIBA 3x3 World Tour Utsunomiya Opener 2025 大会公式サイト







文/柴田健

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