Bリーグ

2023.04.08

横浜ビー・コルセアーズ竹田GM×青木HC×山田AC対談「OB3人衆が語るアツき“海賊魂”」[前編]

ビーコル加入は “人生の中のファインプレー”


──「呼び方ややこしい問題」があるのですね(笑)。青木HCと山田ACは選手時代にはクラブ創設期から所属した初期メンバーでした。当時のチームにはどんな思い出がありますか?

山田 最初は結構大変でしたね。新規チームということで練習環境も選手もいろいろなところから集まって一からのスタートだったので、まずチームとしてまとまるのが難しかったです。ただ、初代のヘッドコーチ(レジー・ゲーリー)が教育者のような立ち位置で日本人選手と外国籍選手を一つにまとめてくれて、チームとしてダメなものはダメ、良いものは良いというベースを作ってくれました。
それもあって特に1、2年目はある程度の成績も残せて2012-13シーズンにはbjリーグで優勝することもできました。でも、そこから先に荒波に飲まれたというか(笑)。僕としては良い経験よりも苦しい経験の方が多かったですが、それがあるからこそ今につながっているのかなと思いますね。

青木 キャリア晩年で現役を続けていく上でいろいろな環境や条件がありましたが、とにかく「ビーコルでプレーするんだ」と決めて実際に契約できたので、その判断は正かったと今でも思っています。僕は生まれも育ちもずっと神奈川(出身は藤沢市)でしたし、ちょうど地元にbjリーグのチームができて、まだプレーヤーとしてチームに加わるチャンスがあるかもしれない。ビーコルから声がかかったのではなくて、自分から売り込んで何とか契約にこぎつけたんです。その過程でいろんなものを犠牲にしたかもしれませんが、本当にこのチームの初期メンバーとしてプレーできてよかったです。とにかく最後はビーコルでバスケをやりたいとい思って行動していたことが今につながっているので、僕の人生の中でもファインプレーの一つだと思いますね。

最初はすごくいろんな苦労があったんですけど、常に諦めないチームでしたし、何かが起きるたびにそれを乗り越えて優勝することもできました。そのあとは大変な時期もありましたが、それも全部ひっくるめて今のビーコルだと思います。そんな時期をダイナミックに体験できたのはすごく大きな経験でしたし、頑張ってよかったなと思います。


一度現役を引退した竹田GMだが、Bリーグが開幕した2016-17シーズンに現役復帰(©️B.LEAGUE)

一度現役を引退した竹田GMだが、Bリーグが開幕した2016-17シーズンに現役復帰(©️B.LEAGUE)



──竹田GMは選手時代に青木HCともプレーして、現役復帰となったBリーグ初年度には青木HCのもとでプレーしました。そして今はGMとヘッドコーチと、さまざまな立場で関わっていますね。

竹田 そうですね(笑) 勇人さんと一緒にプレーしていたときの新潟のメンバーはほとんどが今、コーチをやっている感じで、当時の熱量が今も残っているんだろうなと思います。それは僕も一緒で、だからこそ自分が現役復帰したときのヘッドコーチが勇人さんだったことに対してのやりづらさみたいなものはなかったです。

それに一度引退して復帰したときだったので、それまでなら気にしていたようなことすらも考える余裕がなくて(笑) チーム全体に対してはあまり手伝いができなかったのは反省ですが、当時は自分の選手としての価値をどう見いだしていくかにフォーカスしていたんです。そんなシーズンのコーチが付き合いのある勇人さんだったので、逆に安心できましたし、自分ができる分だけ使ってもらえるという信頼もありましたね。

青木 謙が「選手をもう一度やりたい」と言ってきたことから話が始まって、今までも活躍していたのを見てきたので『まだまだやれることがあるだろう』という確信もありました。だから彼がチームに入ってきたときも全く違和感はなかったし、僕が想像していた通りのパフォーマンスを見せてくれました。それに、謙治も選手としていてくれていたので、長くやってきた彼らが選手とコーチとのパイプ役になってくれました。僕の思いをしっかりと選手たちにも伝えてくれたので、2人にはすごく助けてもらいましたね。

竹田 でも、勇人さんは第4Qだけいきなり出すとかたまにありました(笑) 『今日は出番なしだな〜』と心の中で思っていたら、いきなり呼ばれたり(笑)

青木 いやいや、ここで一つアクションが欲しいなと思うときに仕事人的な感じでパッと出てフロアを整えてベンチに帰ってきてくれる、そのまま試合をクローズしてくれる、試合展開を変えてくれるのが謙。すごく頼りにしていました。だから、長く使うときもありましたし、サプライズで使うこともあったんです。

竹田 おじさんにそれはキツいんだよ〜(笑)

──山田ACは、そんな青木HCの元で竹田GMとも一緒にプレーしましたね。

山田 はい。竹さんがGMになったことで立場は変わりましたが、接し方はそこまで変わらないですし、やっぱり変に気を遣わないで良いのが一番やりやすいですね。僕からも意見を言いますし竹さんからも聞いてきてくれます。情報交換が密にできるのは大きいですね。

選手時代の竹さんは本当に黙々と練習をこなす感じでした。初めて同じチームでプレーしたのは栃木ブレックス(現宇都宮)のときで、当時は年代的に竹さんが一番上。僕が中堅くらいで下と上をつなぐ役目も担っていました。当時の竹さんはもちろん的確なアドバイスもくれますが、基本はとにかく黙々とやっていた印象でした。

でも、とっつきづらいような感じはなくて、遠征先ではよくご当地の物を一緒に食べにいったりもしていましたね。僕自身が竹さんや安齋竜三さん(越谷アドバイザー)などの年上の先輩たちと一緒にいることが多かったのもあると思います。

竹田 「必ずどこにでもいるのが山田謙治です」みたいな後輩だったよね(笑) 当時から選手みんなのつなぎ役というか、今もそうなんですけど、本当にみんなの情報を持っているんですよ。チームで集まるときにはもちろん必ずいるし、何人かで集まったときにも必ずいる。距離感もすごく近かったので、バスケのこともそうではないこともみんなで共有していました。本当に出席率100%でしたからね(笑)

<後編「変わらないカルチャー、過去の積み上げが今につながる」に続く>


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Profile

竹田 謙

たけだ・けん/188cm/SG・SF/1978年10月5日 (44歳)/神奈川県川崎市出身/國學院大久我山高→青山学院大

青木 勇人

あおき・たけと/193cm/SF・PF/1974年1月29日(49歳)/神奈川県藤沢市出身/鎌倉学園高→専修大

山田 謙治

やまだ・けんじ/180cm・78kg/PG/1983年7月28日(39歳)/神奈川県横浜市出身/能代工(現能代科学技術)高→法政大

※身長・体重・ポジションは現役時代のもの



写真/山岡邦彦 取材・文/堀内涼(月刊バスケットボール)

タグ: 横浜ビー・コルセアーズ

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