この夏知っておきたいバスケットボール史 -(1)誕生編
2021年、バスケットボール生誕130年の節目の年は、日本のバスケットボールにとって特別な年だ。男女日本代表が飛躍のときを迎えるだけでなく、NBAでは日本人プレーヤーたちの活躍が華々しい。
バスケットボールの歴史上初めての試合(ファーストゲーム)は1891年12月21日に、アメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドにあった国際YMCAトレーニングスクール(現スプリングフィールド・カレッジ)で行われたことが記録として残されている。この試合には、石川源三郎という日本人留学生も参加していた。この事実だけをとっても、今年は日本のバスケットボール愛好者として特別な130周年を祝う理由になるというものだ。
バスケットボールは、国際YMCAトレーニングスクールで体育教官を務めていたジェームス・ネイスミス博士が、屋外での活動が制限される冬場に屋内でも元気にプレーできるチームスポーツとして考案した競技だ。ネイスミス博士は、多くのチームスポーツが球技であることに着目し、ボールを使う競技にしようと考えた。さらに、多人数でのプレーを想定して、技術的に誰にも習得できるものが良いとの考えから、大きくて扱いやすいボールにしようということに。結果として最初の試合では、サッカーボールを使って18人のクラスを2チームに分けて9対9で試合を行った。
ゴールは体育館の柵(railing)に取り付けられた桃の籠(peach basket)。そこから競技の名前は“basket ball(当初は2つの単語に分かれていた)”と決まった。
今、ゴールが10フィート(305cm)になっているのは最初に取り付けた高さが10フィートだったからとの説が有力だが、実はこれが9フィートだったとの説もある。しかもそう唱えていたのは伝説のアメリカの大学バスケットボール界で名将と知られるジョン・ウォデン(2010年に99歳で逝去)。どちらを信じるかはあなたしだいだが、そんなこともどこかで会話のネタになるかもしれない。
バスケットボール専用のボールが作られたのは、競技自体の誕生から3年後の1894年。ネイスミス博士は、当時すでに幅広いスポーツの普及に実績を持っていたA.G.スポルディング氏(Albert Goodwill Spalding)に、スペシャルボールの製造を依頼したという。スポルディング氏は現“スポルディング”の創業者。自らが経営するA.G.Spalding & Bros.社から「規格球(regulation ball)」を発売し、その後1896-97シーズン向けの公式ルールには、公式戦ではA.G.Spalding & Bros社製のボールを使用する旨の規定も盛り込まれていた。
世界初のバスケットボールを手掛けたA.G.スポルディング氏
(写真/©Spalding)
スポルディング氏はバスケットボールの世界の人物ではなかったが、メジャーリーグ・ベースボール(MLB)の1870年代を代表する名ピッチャーとして鳴らしたアスリートであり、有能なビジネスマンだった。1871年から1878年までの現役キャリアでMLB初の200勝ピッチャーになるとともに、バッターとしても通算成績で3割2分3厘の高打率をマークし、1939年にはベースボールの殿堂入りも果たした。スポルディング氏はまた、MLBでグローブの使用を流行らせた人物としても認識されている。
現役時代の1876年、当時はまだ世間に存在していなかったスポーツ用品店を、A.G.Spalding & Bros.社の名でシカゴに開店したスポルディング氏は、その後ベースボール、バスケットボール、バレーボール、ゴルフ等のボールを開発すると共にルールブック作成やガイドブック発行等、スポーツの普及に尽力した。その中の一つだったバスケットボールが、今日まで続くスポルディング社のビジネスの中心の一つとなっているのだ。
ちなみにスポルディング氏についてもう少し深堀りすると、バスケットボールに関してはボールだけでなくゴールも初期から手掛けている。ネイスミス博士らによる競技規定に基づいたゴールとボールを用意したことが、競技の世界的な普及にどれほど大きく貢献したか、その功績は計り知れない。バスケットボール史を語る上でスポルディング氏は間違いなく、触れずには通れない人物の一人だ。
交通や通信のインフラが発達する前の時代において、自らが得意としたベースボールの楽しさを広めるために世界一周ツアーを試みるほどの、とてつもない情熱の持ち主。しかもスポルディング氏は、バスケットボールを含めかかわったすべてのスポーツの普及にベースボールと同じだけの熱を込め、その分野で培ったノウハウを惜しみなく共有した。
創業から145年。2021年のスポルディング社は『MADE FOR THE GAME』というスローガンを掲げ、最高のエキップメントでプレイヤーのかけがえのない瞬間と共にありたいというブランドの精神を、また、新たなボールやエキップメントの開発に繋がってきた実績の形でスポルディング氏の情熱が今も受け継がれているのだ。
もともと競技として魅力的だった上に、考案者であるネイスミス博士や必要な用具を提供したスポルディング氏ら関係者の熱意に後押しされたバスケットボールは、急激に全米へ、そして全世界へと広がっていく。
日本への伝来は、ファーストゲームからわずか17年後の1908年(明治41年)。これも国際YMCAトレーニングスクールに留学していた大森兵蔵が、当時のルールや技術を学んで帰国し、東京YMCAで指導を行ったのが初めてとされている。《つづく》
スポルディングのボールを取り上げた『THE ATHLETIC JOURNAL』の記事(1929年)
(写真/©Spalding)
『この夏知っておきたいバスケットボール史 -(2)発展編』に続く
(月刊バスケットボール)