VOL.3 大ケガからのカムバックと夢のオリンピアンへの道

 

――復帰までの期間はどのような日々でしたか?

 リハビリって本当に孤独なんです。今まではつらい練習も「みんなが頑張っているから私も頑張ろう」と思って乗り越えてきましたが、リハビリとなるとトレーナーと1対1だし、やるのは自分です。黙々と自分でやるしかないというのがすごくキツかったです。私の場合は復帰まで10か月の期間をもらっていて、自分が復帰する具体的な目標を1月の皇后杯としていました。リハビリは本当に小さなことから一つずつという感じです。ペースがすごくゆっくりで、まずは歩くこと、次にジョギング、今度は横の動きをしてみるといった内容です。動けてしまえば楽しいのであっという間なんですが、走れるようになるまでの期間がすごく長く感じました。言い方は悪いですが、地味なことばかりでつまらないんです。それでも自分で目標を決めていたのは良かったなと思います。

 

 

復帰間もなく行われた皇后杯では見事優勝

成徳の後輩、大崎(旧姓 間宮)に抱きつく

 

復帰後に膝を支えたサポーターとの出会い

――復帰後に着用していたザムストのサポーターとの出会いは?

 最初はテーピングをしていました。ただ、私は肌が弱くて、それにテーピングでガチガチに固めることがすごく嫌でした。逆にテーピングがないと動きづらくなってしまう選手もいたので、あまりそれに頼りたくなかったです。そんなときにトレーナーに薦められたのがザムストのサポーターでした。試してみたところ、すごくサポートされている感覚があって、動きの制限もそこまでなかったです。テーピングで固定してしまうと曲げ伸ばしがしづらかったのですが、このサポーターは自分で固定する強度を調整できるので、肌荒れなどもなく、薦められてすんなり着け始めました。ケガ明けの1〜2年はずっと着けていて、さまざまな面で助けてもらいました。

 

復帰戦となったvs.東京羽田は

ケガをした日からちょうど10か月

 

ザムストのサポーターが吉田の膝を支えた

 

 その一方で、もっと動きをスムーズにしたいという思いもありました。そこで、徐々にサポーターを外していって、最後は付けずにプレーできればいいなと思ってプレーしていました。膝のサポートと再発予防という面はもちろん、痛みがゼロになるわけではないので、いろいろな方法を取り入れてプレーしていました。

 

――ケガ以降で練習や体のケアの面で変化はありましたか?

 下半身のトレーニングは常にやるようになりました。それまではチームのメニューをこなすだけだったんですが、リハビリ期間にやっていたトレーニングを取り入れたり、お尻周りと膝周りのトレーニングを継続しました。練習のときはサポーターを必ず着けていて、トレーニングのときは外していました。

 

――復帰後、しばらくして背番号を12番から0番に変更しました。

 復帰して以降、自分が動けなさ過ぎて、すごく歯がゆい思いをしながらプレーをしていました。分かっていたはずなのに「こんなに動けないのか」とショックでしたね。そのときにもう一度ゼロから、体づくり含めてやり直そうと決めて、初めてキャプテンも任されたので、いいきっかけかなと思って変更しました。リスタートですね。

 

背番号を0に変更し、ゼロからのリスタートを切る

 

次回<Vol.4 次世代を支えるべく新たなステップへ>



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