月刊バスケットボール6月号

VOL.3 大ケガからのカムバックと夢のオリンピアンへの道

キャリア初の大ケガ

同期の一言で現役続行へ

――2014年にキャリアの分岐点ともいえる前十字ジン帯断裂の大ケガがありました。

 今まで大きなケガをしてこなかったので、Wリーグに入る前に、もし自分が手術を伴うケガをしたら、そこで辞めようと決めていました。それくらい自分にはあり得ないことだと思っていたので。でも、実際に前十字ジン帯を断裂したときに「まだ若いし、オリンピックに出るという夢も達成していない」と考えました。でも、手術をして復帰したとしても、ケガ以前のプレーやパフォーマンスを超えることは二度とできないと決め付けていて、それがどうしても心の奥に引っかかっていて。

 

人生で初めての大ケガで多くの葛藤を抱いた

 

病院に行って、ケガを告げられてからの記憶がないです。とにかく泣いていて、どうやって病院を出たのか、どうやって車に乗ったのかという記憶が全くないんです。夜、寝るときはすごく怖くて不安で眠れない。朝になると「練習に行かなきゃ」と目が覚めるのですが、足が痛くて起き上がれない。そこで現実に引き戻されるという日々の繰り返しでした。

そのときに同期の寺田弥生子(元JX−ENEOS)に「引退しようかな」と相談しました。私は「頑張りなよ」と励まされると思っていたんですが、彼女に「自分がそう決めたんなら、いいんじゃない?」と言われました。そのときに気持ちがスッとしたというか。

 

同期の寺田さん(左)の言葉が吉田の現役復帰を後押しした

 

当時、寺田もケガをしていて、彼女の場合は手術してリハビリしても復帰が難しい状態でした。私は自分のことしか考えられない状況で、寺田のケガのことすら忘れてしまっていたんです。彼女の言葉を聞いたときに「なぜ私は彼女に引退するなんて言っちゃったんだろう。リハビリすれば復帰できるのに、なぜ引退するなんて言っちゃったんだろう」とすごく後悔して、「寺田のために復帰しよう」と決心しました。

寺田とのやり取りがなかったらオリンピックにも出ていませんでした。あのケガが自分のキャリアの分岐点であり、寺田が私をオリンピックに導いてくれました。今振り返ると、それくらいの大きな決断をする出来事だったと思います。

 

「寺田のために」その思いが吉田の活力となった

 



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