デビン・バッセル(サンアントニオ・スパーズ)を育てたご両親にインタビュー
地元の子どもたちに大きな励みをもたらす息子デビンの様子を見て、ご両親も誇らしかったに違いない
野次はぜひお手柔らかに
――いつ頃からデビンがNBAに到達できるかもと思い始めたのでしょうか?
シンシア:面白い質問ですね。今でも覚えているのですが、デビンがミドルスクール最終学年(日本の中学2年生)の時に、「大学には何をしに行きたいの? 将来は何をしたいの?」と聞いたことがあります。彼は「お母さん、何度も言っているけど僕はNBAの選手になる」という態度で、私から何度も将来について同じ質問を繰り返し聞かれることにうんざりしていたみたいですよ。私は「そこまで意志が固いのであればバスケットボール選手を目指しなさい。私も応援するから。バスケットボール選手になれるといいね」と伝えました。
彼はその時点でNBAの選手になると確信していたのでしょう。親としては、そう簡単ではないとか現実的ではないとか思ってしまうこともありますが、デビンはとにかくNBAの選手になりたいという情熱に溢れていました。毎日宿題が終わると友達とも遊ばず、ダンスパーティにも行かず、スキルを磨くための練習に明け暮れていて、自分がなれる最高のプレーヤー像を目指していました。今もそうですが、当時から野心的で迫力に溢れていましたね。
アンドリュー:フロリダ州大からオファーをもらったときは、先ほどお話ししたとおりランキング200番台の選手でした。でも彼は私に「大学で2年プレーしたら、プロに行く」と明言しました。1年生時は、1試合10分程度の出場時間で平均4~5得点くらいの成績でした。1年生を終えた後の夏に、また彼は「あと1年でプロ入りする」と私に伝えてきました。私が彼の発言に説得力があると感じたのは、その夏の彼の練習風景を見たときでした。何人かチームメイトを地元に連れてきて練習をしていたので、様子を伺いに行ったのですが、デビンの成長に驚きました。しっかりプロに向けて準備ができていると確信しました。デビンは、やると心に決めたことに関しては全力で打ち込める人です。
――デビンがご両親に「ドラフトにエントリーする」と正式に伝えたときはどのような感情だったのでしょうか?
アンドリュー:デビンが大学2年生のシーズン中でした。コロナウィルスの影響で大学のシーズンも中止になってしまいましたが、「お父さん、プロ入りしたい」と打ち明けてくれました。もとから話し合っていたことだったので、あとは大学側に伝えるだけでした。デビンが2年生のとき、実はフロリダ州大のホームゲームのチケットは始めて毎試合完売するほどの売れ行きを見せていました。そのため、学校側からするとデビンがいなくなるのを受け入れることは簡単ではなかったようです。彼らはデビンがドラフトにエントリーしても、1巡目の終わりか2巡目の終わりくらいの指名になると伝えてきましたが、我々はプロ入りを決めていたのでそれでも構わないと返答しました。
ドラフトエントリーするに際しては、少なからずコロナ禍だったことが功を奏したようにも思えます。正直デビンの知名度は高くなかったのですが、コロナ禍でスカウトもデビンのフィルムをそれまで以上に研究して、そこから徐々にデビンも1巡目指名選手、ロッタリー指名選手と言われるようになり、そこから電話やオンラインでの面接を繰り返して、彼の人柄もより深く理解してもらえました。
――ドラフト当日の準備はどうでしたか? コロナ禍で自宅でのドラフトだったと聞いています。
シンシア:デビンは、本当はニューヨークでドラフトを体験したいと思っていたので少しガッカリした気持ちはありました。コロナ禍だったこともあって、この学校(ピーチツリーリッジ高)からドラフト当日は学校のカフェテリアを使って良いと提案を受けました。たくさん人も呼べる規模ではあったのですが、コロナがまだ鎮まっていなかったので、限られた人を自宅に招いてドラフト当日を迎えることにしました。
当日のデビンは興奮していたのを覚えています。過去のコーチたちから電話があったりバタバタでしたが、待ちわびていた夢の瞬間だったのでワクワクしていました。ドラフトが始まると、他の選手が指名されるのを見て、自分が指名されるのはいつになるのか? ロッタリー指名なのか? 1巡目の終わりの指名になるのか? といろいろ気になって心身が疲れました。デビン本人も本当に指名されるのかナーバスになりながら、自分の名前が呼ばれるのを待っていました。興奮と不安が入り混じった1日でした。
――デビンが指名された時、彼にスパーズのキャップを手渡ししたのは、アンドリューさんだったと記憶しています。直後に大きなハグもされていましたが、あの時の感情を覚えていますか?
アンドリュー:夢がかなった瞬間でしたね。それまでのハードワークが報われました。ただ私はデビンに「ついに辿り着いた。でもまだ仕事は残っているぞ」と伝えました。今でもデビンはハードワーカーです。彼のキャリアは始まったばかりで、ピークはまだ先にあります。
――グレッグ・ポポビッチのような偉大なコーチに指導を受け、スパーズでプレーしていることについてはどう思われますか?
アンドリュー:もう長年スパーズの試合は観続けています。妻はスパーズのことを知りませんでしたが(笑)。まず彼らの選手育成へのアプローチは素晴らしい。デビンも安心してプレーできる環境です。チーム関係者にも直接会って、彼らが目指す選手育成について話も聞けましたし、実際に自分の目で確かめることが出来たので、最高の組織だと思います。
デビンとポップの関係はとても良好です。ポップは時折選手にとても厳しいことがありますが、デビンとは双方にリスペクトがありますよ。ある試合を観戦したときのことで覚えていることがあります。誰かが試合中に大きなミスをして、ポップがベンチで明らかに腹を立てていました。そのときデビンが彼に近づいて、肩を叩いて「俺が何とかするから」というような素振りを見せると、ポップはデビンに自由にやらせてくれたのです。コーチから信頼されている証拠ですし、デビンもポップのことが大好きです。デビンは彼からできる限りの知識を吸収しようとしています。自分が偉大になりたいのであれば、偉大な人の近くで学ぶことがベストです。若い年齢でとにかく周りからあらゆる知識や経験を吸収しようとしている姿勢には感心します。クリス・ポールからもデビンはたくさんのことを学ぶでしょう。私も楽しみです。
――親として自身の子どもが毎日テレビでプレーしているのを観るのはどんな気分でしょうか?
シンシア:今でもその話はよくします。デビンがプロになって4年経ちますが、アリーナに行っても「今からデビンの試合を観るの?」という感覚になることがあります。まだ現実ではないような不思議な感覚です。ただ彼は私の息子です。試合で調子が悪いと私も主人も心が痛みますし、調子が良ければ熱狂的な気分になります。アリーナでデビンに向けて野次や罵声が飛ぶと、私はそれを重く受け止めます。これまでの努力を知らない人たちに「アイツをベンチに下げろ!」と野次を飛ばされると気分は良くないですし、難しい問題です。
デビンのことはとても誇りに思っています。彼には夢があって、それに向かって全力を尽くし、誰にもその夢を邪魔させませんでした。たとえ高校時に選手ランキング200番台でも彼は夢に向かって突き進みました。高校のときに知名度が低かったのは、この地域で有名選手が通う学校に通っていなかったことが原因だと思いますが、彼のプレーを観れば誰もが彼の実力に目を向けてくれました。
あと親として、ファンの皆さんに伝えたいことは、選手も人間であるということ。選手は、並々ならぬ努力をしてコートに立って、ファンの期待に応えようとしています。誰もが仕事で調子が出ない日もあります。調子が悪い日に罵声を浴びせられると、選手も家族も苦しい思いをします。
デビンは努力を重ねて今の地位にいます。デビンの成功はうれしいですし、神に感謝をしています。
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この企画は、スパーズのスーパーファンとして知られる小谷太郎さんが立ち上げた「Paint it Silver & Black!」プロジェクトの一環として小谷さんの全面的協力の下でスパーズ周辺の様々な話題を取り上げています。不定期ながら随時楽しい企画をお送りしていきますので、乞うご期待!
取材・文/小谷太郎(Paint It Silver &Black!)
タグ: サンアントニオ・スパーズ