大学

2024.06.13

【第3回WUBS】国内の「カレッジスター軍団」日本学生選抜の出場が決定

☆日本のバスケットボール界発展の礎となった大学界


日本におけるバスケットボールの発展を大学界が支えてきたことは、一般社団法人関東大学バスケットボール連盟の前身である全日本学生籠球連合結成が1924年(大正13年)で、日本バスケットボール協会のそれが1930年(昭和5年、当時の名称は大日本籠球協会)であることからも自明だ。協会創立時の中心メンバーも、早稲田大学を卒業して間もない李相佰(イ サンベク=日本では前ページの大会記述のとおり「リ ソウハク」の呼び名で知られている)ら、大学バスケットボール界出身の若者たちだった。

背景には当然、1854年の開国以降欧米列強に対抗すべく近代化・国際化を図る日本の変革がある。1868年(明治元年)の東京遷都、72年(同5年)の学制発布を経て77年(同10年)に東京大学が誕生。その後、1920年(大正9年)の大学令発布により、首都に8つの私学ができたところまでが、学生たちの交流基盤形成の第一段階と言えるかもしれない。

一方で、海外から流入してくるスポーツ文化が日本社会において教育的価値を持つ存在として受け入れられていく。その中でバスケットボールは学生たちの間で人気競技として市民権を獲得。天皇杯で毎年のように大学チームが頂点に立つ時代が訪れる。それがやがて、より幅広い人々の関心を集めるようになっていくのだ。


昨年のインカレ決勝より、白鷗大の根本大(写真/©月刊バスケットボール)

☆一般財団法人全日本大学バスケットボール連盟とは

全日本連盟の誕生は、第2次世界大戦終戦から間もない1949年(昭和24年)。それは戦後の学制改革に伴う新制大学と、いわゆる6334制の教育制度がスタートした年に当たっている。

当時は体育に関して、戦前・戦時の富国強兵という考えに沿った「体錬科」から、「運動と衛生の実践を通して人間性の発展を企画する教育」としての「体育科」に改められていく過程。戦後の新指針に基づき、画一的・形式訓練的な運動ではなく、学習者の興味を尊重しながら民主的・社会的態度を育成する考えにのっとり遊戯・スポーツ中心の内容へと転換が図られていく時期だ。スポーツが戦後の現代的なあり方に進化していく初期段階での全日本連盟誕生は興味深い出来事だ。

大学バスケットボール界では49年に、全日本連盟のほかにもいくつかの支部連盟が誕生(関東と関西には既存の連盟が存在した)し、記念すべき第1回全日本学生バスケットボール選手権大会(インカレ、男子のみ)も行われた。同大会の初代王者は慶應義塾大。女子に関しても、5年後の54年(昭和29年)に第1回大会が開催され、奈良女子大が初代チャンピオンの座に就いている。

その後の競技の発展とともに、全日本連盟は規模を拡大。現在は全国9つの地区で全11連盟(北海道、東北、北信越、男女各々の関東、東海、男女各々の関西、中国、全四国、九州)を統括する団体に成長している。

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柴田 健/月刊バスケットボールWEB

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