NBA

2024.04.09

ケルドン・ジョンソン(サンアントニオ・スパーズ)インタビュー——役割の変更にも「エゴを捨てて求めらていることを実行している」

ブライアント・スティス、アレン・アイバーソンが手本だった


——ドラフトでは29位でスパーズに指名され、今シーズンで5年目を迎えましたが、チームは今のあなたを形成するのにどのようにサポートしてくれましたか?

オースティン・スパーズでの経験は貴重だった。プロフェッショナルとは何かを学ぶことができた。Gリーグがどれだけ育成に重要なのか気づいていない人もいるけど、未熟だった自分にとっては有益な時間だった。19歳でドラフトされて、オースティンでプレーをして認めてもらえたからこそ、サンアントニオでプレー機会を得たときには準備は整っていた。





——幼少期の話も聞かせてください。バージニア州の中でも田舎町(サウスヒル)で育ったと聞きましたが、お手本にできるようなバスケットボール選手などはいたのでしょうか?

小さい街だったよ。この街で唯一といっていいかもしれない有名選手はブライアント・スティス(1992年のドラフトでデンバー・ナゲッツから13位で指名され、2002 年までNBAでプレー)だった。彼のことはとても尊敬していたし、彼が主催するバスケットボールキャンプに毎年参加していた。彼を見て、彼の話を聞いていくうちに、自分が達成したい夢も叶えられるんじゃないかと思うようになっていた。あとはアレン・アイバーソンも尊敬していた。この2人が、僕が子どものころに大きな影響を与えてくれた選手だ。

——中国のブランドと契約を結んでいて、昨年の夏は中国ツアーも慣行しました。アジア文化と触れてみた感想を教えてください。

中国ツアーは最高だった。僕の人生で最高のひとときだったと言える経験の一つだ。色々な人に会えたり、異文化に触れたりできた。とても歓迎もしてくれて、家族のように接してくれた。今年の夏もまた中国に行く予定だから待ち遠しいよ。

——最後に2021年にオリンピックで来日したときのことを聞かせてください。当時はコロナウィルスの影響で行動に制限があった時期ですが、何か日本について印象に残っていることはありますか?

東京は今まで訪れた街でも一番綺麗な街の一つだ。また日本に行って文化を楽しみたい。限られた機会だったけれども、日本の人との交流は素晴らしかったし、また経験したいと思っているよ。






東京2020オリンピックでアメリカ代表の金メダル獲得が決まった後、星条旗を身にまとい笑顔のジョンソン。東京は美しい思い出の地となっているようだ(写真/©FIBA.Tokyo2020)

この企画は、スパーズのスーパーファンとして知られる小谷太郎さんが立ち上げた「Paint it Silver & Black!」プロジェクトの一環として小谷さんの全面的協力の下でスパーズ周辺の様々な話題を取り上げています。不定期ながら随時楽しい企画をお送りしていきますので、乞うご期待!



小谷太郎/月刊バスケットボールWEB

タグ: サンアントニオ・スパーズ

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