NBA・海外

2024.04.26

サンアントニオ・スパーズの往年の名ロールプレーヤー、デビン・ブラウンが振り返る2005年のNBA王座獲得

「こいつがファイルアウトするまでパスを回し続けるからな!」――コービー・ブライアントとのマッチアップにゲイリー・ペイトンが放った一言


——NBAのキャリアについて話を聞かせてください。「ついにNBA入りしたな」と実感した瞬間はありましたか?

ああ、あるよ。忘れもしないステイプルズ・センター(現クリプトドットコム・アリーナ)でのロサンゼルス・レイカーズ戦だった。ブルース・ボウエンが早々のファールトラブルで交代することになり、代わりに僕が試合に出ることになった。コートにチェックインしようとしている僕をゲイリー・ペイトンがジーっと睨んでいて、ポップに「コイツ誰だ?」って言い放ったんだ。ポップは「ウチの若手だ」と受け返して、さらにペイトンが「誰のディフェンスするんだ?」と聞いたのに対してポップが「コービー(ブライアント)」と答えたんだ。それを聞いたペイトンがコービーに「このブラウンってヤツがファールアウトするまで、どんどんパス回すからな」っていう会話をしていたんだ(笑)。それがNBA入りしたなと思えた瞬間だった。

——スパーズでは、2003-04シーズンには58試合(レギュラーシーズン)に出場し、2004-05シーズンは67試合出場しています。この2シーズンはローテーションにも入って、重要な役割を担っていたことだと思います。いい思い出と悪い思い出について聞きたいのですが、まずは悪い方から。2004年のレイカーズとのカンファレンス・セミファイナルの第5戦。ダンカンが残り0.4秒で逆転のシュート決めた直後にデレック フィッシャーがブザービーターを決めた時、どちらの場面でもコートに立っていました。今でも悔やまれる劇的敗戦でしたが、この試合のエンディングはどういった感情だったんでしょうか?

僕のアサインメントはとにかくコービーにボールを触らせないことだった。自分のホームタウンでゲームウィナーを決めさせるわけにはいかなかった。ボールをディナイすることは上手くできたと思うけど、フィッシャーがいきなりどこからともなく現れた。彼のシュートがバンクショットだったのか直接リングに入ったのか記憶が曖昧だけども、とにかく起きたことが信じられなかった。彼がシュートするのに十分な時間があったのかも定かではなかった。バスケットボールというゲームの中では、様々なことが起きうると心にとどめた良い例だよ。

——翌シーズンはレギュラーシーズン59勝を挙げ、優勝もしました。前年の悲惨な敗戦からチームやあなたはどのように新しいシーズンに向けて準備をしていたのでしょうか?

2003年に優勝していて、2004年のチームも素晴らしかったし優勝できたかもしれなかった。その経過から、準備がとてもタフになることは皆わかっていたし、開幕から全員がロックインしていた。高い集中力はトレーニングキャンプやオフのワークアウトからずっと継続できていた。シーズンは決して簡単な道のりではなかったけれども優勝できた。開幕前の準備からシーズンが終わるまで、全員が正しく行動できた結果だと思う。

——優勝した2004-05シーズンはダンカンとジノビリがオールスターに選出されています。彼らのシーズンに対してのアプローチやリーダーシップはどういったものだったのでしょうか?

彼らは何ごとにも常に懸命に取り組んでいた。毎日ね。練習でも、試合でも、シュートアラウンドでも。トップの選手たちがそういう空気感を作りだすと、周りもおのずとついていく。シーズン中も選手同士が互いに刺激し合って、高め合うことができた。それは皆で作り上げたチームのカルチャーだ。あの環境にいた選手たちは、誰が長い出場時間を得てもおかしくなかった。素晴らしいチームだったよ。


2005年のNBAファイナル第7戦終了後、王座獲得に成功して記念写真に納まるスパーズの面々。中央のトニー・パーカー、ラショー・ネステロビッチの後ろがブラウンだ(写真/©佐々木智明 月刊バスケットボール)






——優勝シーズンで思い出に残っている試合はありますか?

いくつかあるかな。あのシーズンはローテーションにも入っていたし、ケガをするまでは調子もよかった。マディソン・スクエア・ガーデンで24得点した試合やフェニックス・サンズ戦で逆転劇をけん引できた試合が思い浮かぶ。サンアントニオで育って、スパーズのユニフォームに袖を通せて、インパクトのある仕事もできたことは最高だった。

——スパーズを離れた後、NBAでのキャリアは2009-10シーズンまで続きました。何かスパーズで学んだことで長いキャリアを続けるのに役立ったことはありますか?

プロフェッショナリズムの追求だ。毎日コートに姿を見せて、やるべき仕事をこなすこと。若い選手に手を差し伸べること。スパーズから移籍してプレーしたどのチームも若かった。クリーブランド・キャバリアーズに移籍したときは、チームが前シーズンにスパーズにファイナルでスイープされた後だったから、彼らは次のステージに進む準備はできていた。マイク・ブラウンHCも良い仕事をしてくれていた。僕は練習でも何でも集合時間の30分前に集合場所に行くように行動したりして、インパクトを出していた。地道な行動が長いキャリアを続けることに繋がる。

——今、9年生から12年生の高校生(日本の中学3年生から高校3年生)のチームをコーチされていますね。自身がコーチをされるにあたって、ポポビッチから学んだことを実践さらたりしていますか?

もちろんだ。練習の1日目、2日目で雰囲気を確立させる。どんなに才能のあるチームでも、ハードにプレーをしない限り誰からもリスペクトされない。それを自分は、ポップだけではなく、バイロン・スコット、ジェリー・スローン(故人、元ユタ・ジャズHC)、マイク・ブラウン(現サクラメント・キングスHC)から学んだよ。


現在はサンアントニオで子どもたちの指導に情熱を注ぐブラウン。スパーズでの王座獲得や名だたる名称の下でプレーしたことで得た学びは、次世代にしっかり継承されているようだ(写真/©佐々木智明 月刊バスケットボール)

の企画は、スパーズのスーパーファンとして知られる小谷太郎さんが立ち上げた「Paint it Silver & Black!」プロジェクトの一環として小谷さんの全面的協力の下でスパーズ周辺の様々な話題を取り上げています。不定期ながら随時楽しい企画をお送りしていきますので、乞うご期待!





取材・文/小谷太郎(Paint It Silver &Black!)

タグ: サンアントニオ・スパーズ

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