Vol.1「良い思い出しかない」高校時代

 

キャリアの原点となる全国制覇を成し遂げる

 

――高校3年生でインターハイ、国体と優勝を果たしました。全国制覇の感覚はどのようなものですか?

 中学生のときも全中で2回優勝しているのですが、自分たちが3年生の代では全国にすら行けませんでした。高校でも1、2年生のときに準優勝していて、2年生のときはすごく惜しいところまでいきました(2004年島根インターハイvs 桜花学園/71-72)。

 

高校2年の島根インターハイ決勝戦。

あと1歩届かず叶わなかった日本一

 

自分たちの代ではそれまで優勝経験がなかったので、中学からチームメイトだった子と「自分たちの代になったら絶対に優勝しよう」と約束して高校生活を送っていました。高校3年生のインターハイは初めて自分たちの代で、自分たちの力で優勝できた瞬間だったので、すごくうれしくて。これからの人生の中でも、あの優勝はきっと忘れることはないと思います。そのぐらい思い出に残っている瞬間です。

 

――今、「インターハイとは」と聞かれたら何と答えますか?

 私にとっては「原点」です。あの瞬間をもう一度味わいたいと思って、実業団に入りました。

 

「自分たちの代では必ず」と強い意志で決勝に臨む

 

先輩たちの悔しさを胸に全員で勝ち取った日本一

 

 

――高校時代にケガや挫折などの経験はありましたか?

 ケガが全然なかったんです。挫折したこともなく、充実した3年間でしたね。全国大会で負けたりすると、もちろん悔しいですが...。でも高校2年生のときにウインターカップの1回戦で負けたことが、ものすごく悔しかったです。スターターで出ていたし、メインで戦っていたので3年生を勝たせてあげられなかったという悔しさと、自分たちの代では必ず優勝するんだ、という思いになりました。それで、負けたその日から翌年のインターハイの期間まで、何か自分に罰を与えようと考えたんです。私はそれまで髪がすごく短くて目にかかったり、長かったりするとすごく嫌でした。これだと思いましたね。そこからインターハイ直前まで髪を一度も切らないという罰にしました(笑)。で、本番直前にバッサリ切りました。それくらいです。だから当時の写真とかもあまり見たくないです。月バスに残っちゃってるのがすごく嫌ですよ(笑)。

 

勝たせてあげることができなかった悔しさは背中からも伝わってくる(左奥 背番号8番吉田さん)

 

――高校時代にケガがなかったとのことですが、ケアなどで毎日続けていたことはありましたか?

 特にないです(笑)。自然に過ごしていました。高校生の頃は体がすごく硬くて、ストレッチがとにかく苦手でした。ただチームでアップの時間がしっかりとあって、特別なメニューではなかったですがもも上げやアキレス腱を伸ばしたり、心拍数を上げる練習などがメニューとして組み込まれていたので、それが良かったのかもしれません。

部活生って個人的にストレッチやケアをすることって以外とめんどくさくてやらない選手も多い気がするので、チームとして取り組んでくれるとケガなく過ごせるのかもしれないですね。

 

 

次回 <Vol.2 プロ意識を持って貫いたJX-ENEOS時代> 



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