月バスTOPICS

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2020/02/01

NBAを目指し、ステップアップし続ける男 ― テーブス 海(宇都宮)

 特別指定選手として宇都宮ブレックス入団したテーブス海。彼の経歴を振り返ると、常にステップアップを目指し、みずから環境を変えてきたキャリアであることがわかる。ここでは日本に戻ってくる前、昨年11月にインタビューしたテーブス海の「これまで」をインタビューで紹介する。

インタビュー/山脇明子

写真提供/ノースカロライナ大学ウィルミントン校

 

中学でバスケに専念、転校も決意

―あなたのお父さんはWリーグ、富士通レッドウェーブのBTテーブスヘッドコーチですね。やはりお父さんの影響で小さい頃からバスケットをする環境にあったのですか?

「いや、実は幼稚園ぐらいからずっとサッカーをやっていて、サッカーがメインでした。小4ぐらいからクラブチームでサッカーをやりながらミニバスも始め、中2ぐらいになったときにバスケの方が楽しくて、自分に合っているなと思い、バスケをメインにしました。それまではずっと神戸でインターナショナルスクールに通っていたのですが、インターナショナルスクールはシーズンスポーツで2~3か月間しかバスケができないので、1年間通してバスケができるように公立中学校に転校しました」

-お父さんとしてはバスケをやってほしいと思っていたのではないかと察しますが、バスケットを勧められなかったのですか?

「いや、全然されなくて、そういえば父は昔プロで(バスケットを)やっていたと思い出して、僕から教えてほしいと言いました。父は僕がバスケを自分からやりたいと思えば、それがいい。でも自分から強制したくはないと言っていたそうです。でも僕がサッカーをやっていたときも自分がサッカー選手じゃないから全然面倒を見ないというのではなく、サッカーのことを一生懸命自分で勉強して、僕にいろいろ教えたがっていました。バスケに変わったときはうれしかったと思います」

 

 

日本の強豪高から、2年のときに渡米

-京北高校2年生のときに渡米しました。9月ですね。

「そうですね。インターハイが終わってからです」

-アメリカのバスケをビデオなどで見ていましたか?

「見ていましたけど、実際自分が入ってみると、本当にサイズも全然違い、身体能力もみんなすごくて最初の2か月間1回もペイントの中にドライブしていないぐらい、それくらい体の違いを最初から感じました。何もかもうまくいかなくて。僕は日本人ですけど、アメリカの文化もその時点で結構理解できていましたし、そこはそれほど苦労しませんでした。でもやはり日本から離れて、家族から離れて、その上にバスケのレベルもいきなり上がったのは難しかったです。そこを乗り越えるのが大変でした」

―ブリッジストン・アカデミーからノースフィールド・マウント・ハーモン高(以降NMH)に1年で転校しましたね。それはどういう経緯で?

「どちらの高校も同じカンファレンスで、NMHはカンファレンスの中で1位、僕がいたブリッジストン・アカデミーは最下位でした。1年目にNMHと2回試合をしたんですけど、結構活躍できて、シーズンが終わったらNMHの監督からこっちに来ないかと言われました。それで転校してさらにハイレベルの高校に行くことができました。ラッキーでした」

-転校してからはどうでしたか?

「やっとアメリカのバスケに慣れたと思っていたら、NMHはもっとレベルが高く、まず練習から毎日競争でした。そのときノースカロライナ大やデイビッドソン大に行く選手もいて、僕の一つ上の学年はみんなディビジョンⅠ(D1)に行きました。転校したとき、僕には何もオファーがなかったんですけど、周りにはD1 に行く選手がいっぱいいました。そんな中、毎日練習で対戦して苦しいときもありましたけど、2年目はアジャストできたんじゃないかなと言えるぐらいのシーズンでした」

-大学6校からオファーがあったと聞いていますが、覚えていますか?

「ここUNCW(*インタビュー時)、バックネル大、ブラウン大、ワフォード・カレッジ、デラウェア大とモンマス大ですね」

―昨季は平均アシスト全米2位で、一時期トップだったときもありましたが、D1の1、2位に自分の名前があるということについてはどう思いましたか?

「シーズン半分ぐらい終わったときに誰かから『お前トップ10に入っているよ』と言われて。全然信じていなくて、うそでしょ? みたいな感じで見て。そしたら5位か6位ぐらいになっていました。でも自分の中ではそんなにアシストしているイメージはなかったので、これから本当に狙っていけばトップになれるんじゃないかなと思って、去年のシーズンは1年生としてパスを心掛けて。それが自分のいいところならば、それだけやっていればいいと思って。別に自分ができないことを無理やりにやろうとせず、自分のパスでチームが勝てるなら、それでいいと思って。最後に2位になったのは、実際信じられなかったです。自分の過去を見てきて、まさかここまで来るとは思わなかったんですけど、そこで満足はしていません。自分のゲームには穴があるし、どんどん成長していきたい部分の方が多いのですから。だからと言って去年の成績を完全に忘れるわけではなく、いいところは自信につなげて、自分の穴はこれからどんどん成長して埋めていければいいかなと思います」

 

 さらに、八村塁選手へのあこがれ、今後の目標などのインタビューを月刊バスケットボール3月号で掲載している。

(月刊バスケットボール)


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