Bリーグ

2021.10.08

伊藤拓摩(長崎ヴェルカGM兼HC) - シーズン開幕に向けた長崎からの想い、長崎への想い、世界への想い

©長崎Velka


本場アメリカでバスケットボールの真の価値を学んだ


――留学した理由とどんな準備をしたのか、ご苦労話やどんな形で乗り越えたのかを教えてください。


今年僕は39歳なので、もう23年くらい前の話になりますね(笑) 16歳だった当時、まだインターネットも普及していなかったので、留学しようかと思ったときに、その情報源は本ぐらいしかありませんでした。周りに留学経験者もすごく少なかったですし、準備という意味では家庭教師に教えてもらうくらいでした。ですから渡米した段階では、中学校で学んだ学校英語がベースです。家庭教師も新たな知識を得るというよりは耳で英語に慣れる、話すことに慣れるということが主で、特別なことはしていませんでしたね。


例えば、本当に情報が少なかったので、電池が日本と同じかどうかもわからなくて、日本の電池をたくさん持っていったという思い出もあります(笑) 限られたスーツケースの重さの中で、電池を詰め込んでいきましたが、今考えると笑い話ですね!


でも、アメリカでバスケットボールをやりたかったんですよね。僕は選手として行きましたが、壁ばかりでした。最初に行ったのはオレゴン州での小さな学校で、「アメリカでもできるぞ!」という感じがあったのですが、そこから翌年に名門として知られていたモントロス・クリスチャン高校に入り、一気に自信を奪われました。NBAに入るような選手もいましたし、ほとんどがNCAAのディビジョンIにスカラシップ(奨学金)を得て進学するような選手だったので、今振り返ると心を折られるような出来事ばかりだった気がしますね。


――楽しい思い出というとどんなものがありますか?


もちろんたくさんあります。バスケットボールとは別の部分も含め、どんどん友だちが増えていく感覚だったり。最初は公立の学校だったのですが、友達ができずにランチの時間がすごく苦痛だったんです。日本にいた中学校時代には生徒会長もやらせてもらったり、友だちも多くて…という存在だったのが、アメリカの高校では1年目には友だちもいないし。バスケットボールもできていなかったので、友だちはいっそうできづらかったです。


ランチの時間は自由なんですよ。広々としたカフェテリアで、誰も声をかけてくれなくて一人で食べなければいけなくて寂しい思いをしました。でも逆に、そのときに声をかけてくれた優しい人たちもいて、そこからちょっとずつ友だちが増えていったというのが楽しい部分でもありますし、英語を学べたとか、初めて英語で夢を見たというような形で成長を感じられたのがうれしかったですね。もしかしたらバスケットボール自体よりも、そちらの方が大きかったのかもしれません。


――バージニア・コモンウェルズ大学でバスケットボールチームのマネジャーとして学ばれて、Dリーグ(テキサス・レジェンズ)でのキャリアもあります。そうした体験や知識から、今生かされている最大の収穫と言ったらどんなことですか?


学生として約10年間アメリカにいて、日本に帰ってきて約10年間バスケットボールに携わりました。その後また2年間アメリカに行ったのですが、社会人を経験した上での渡米となった2年間が大きいです。Bリーグ開幕初戦(2016年9月22日のリーグ創設後最初の公式戦)でアルバルク東京のヘッドコーチをさせてもらった経験を踏まえてアメリカのスポーツ、特にNBAの社会における価値を感じることができたからです。


バスケットボールがないと困る人がいて、世の中に多くの貢献をしているんですよね。学生時代はコーチになりたくて、戦術・戦略の部分に頭が向いていましたが、卒業後にテキサス・レジェンズでは、勝ち負け以上にバスケットボールの素晴らしさや、社会を良くすることができるということを感じられたことが意義深かったです。


2回目の渡米時に、将来像としてGMになりたいと考えていたわけではないのですが、行ってみてGMに魅力を感じたことが、今につながっている部分もあります。

 

©長崎Velka


ヴェルカなら長崎ならではの発信、スタイルができる


――長崎の町は、バスケットボールに関してどのような熱気を持つ町でしょうか?


今、直接的にかかわっている長崎県バスケットボール協会や小中高の指導者の皆さんからの熱気はすごく感じています。長崎のバスケットボールをもっと強くしたい、盛り上げたいという思いが強く、すごく協力していただけています。一緒に作っているという感覚もありますね。


アツいです! 長崎の皆さんと長崎のバスケットボールをいっそう盛り上げていけるということに、大きな可能性を感じています。


――世界的に特異な、原子力爆弾が投下された歴史を持つ町をホームタウンとすることについて、何か感じる点はありますか?


あります。クラブとして「バスケットボールを通じて世界に平和のメッセージを届ける」ことを一つのミッションとしていますし、長崎、広島の人だからこそ、長崎、広島の球団だからこそ、発信できるメッセージがあると思っています。


私たちのクラブでも、ジャパネットの平和学習というカリキュラムに今年参加させていただいて、原子爆弾や戦争の体験について学ばせていただきました。例えば僕は三重県出身で、学校で過去の歴史を学んできました。でも長崎に来たときに、子どもの頃からおじいちゃん、おばあちゃんに、知り合いの人々に聞かされてきた身近な体験談として聞いてきた人たちなんだな…ということを感じます。


決してほかの地域の方々が軽く感じているということではないんです。僕たちがテレビなどでしか見てこなかった歴史を、直接経験した方々から聞いて育った方々に包まれている町なんですよね。


サッカーのV・ファーレン長崎が開催している「平和祈念マッチ」にあたるようなことをバスケットボールでできないかという話も出ています。チームとして強くなろうということはもちろんなのですが、それだけでは意味がないと思っています。バスケットボールの価値をうまく生かして、よりよい社会を作っていくことに貢献できるように、可能な限りのことをやっていきたいと思います。


――バスケットボールの話題に戻って、今シーズンのスケジュールを眺めて、カギを握る特に重要な時期や対戦と見ている日程はありますか?


これは正直、わからないです。今回の天皇杯でも、自分が思っていたチームが勝たなかったりするのを見て、B3の怖さを知ったというか…。一人選手が変わるだけで大きくチームが変わるのがバスケットボールだなと。今日対戦したさいたまブロンコスは素晴らしいバスケットボールをしていて、昨シーズンの最下位チームとはとても思えませんでした。頑張る選手がいて、よくコーチされていました。


我々としては対戦相手というよりも、自チームの成長にしっかり集中しないと、すべての試合が厳しいものになるなと思いました。その意味では、まずは開幕戦で良いパフォーマンスをお見せできるように、しっかり準備することが一番大切かなと思います。


その後は、ひととおり全チームと対戦してみるまでは本当にわからない感覚です。一試合一試合、自分たちがどれだけ成長できるかに集中してシーズンを過ごしたいと思います。


――今シーズンの目標を教えてください。


クラブとしてもちろん、B2昇格というのがありますが、そこに至るまで自分たちが成長し続けるというのが大切だと思います。シーズンの終わりに、B3 で一番成長したチームとして胸を張れるようなら、結果は自然とついてくると信じています。一試合一試合、毎度の練習からどれだけ全力を出し切って…。シーズンの終わりに最初の試合を見て、「今の自分たちはこんなに成長したんだぞ」と確認できることが自分たちの目標かなと思います。

 

 


長崎ヴェルカのチーム名は、Welcome、Well community、Victoryの3つの意味をかけた言葉で、長崎で親しまれ、長崎らしい良い文化を取り込み、地域創生を目指すという想いが込められている。2021-22シーズンは10月2日に鹿児島県総合体育センター体育館で開催された鹿児島レブナイズとの試合でスタートし、現時点(10月8日)では2勝無敗。ホーム初戦は9日(土)に、長崎県立総合体育館に横浜エクセレンスを迎えて行われる予定だ。


取材・文/柴田 健(月バス.com)
(月刊バスケットボール)



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