月刊バスケットボール5月号

“篠山センセーの 上手くなりたきゃ、考えろ!”特別編②「全中、インターハイの思い出」

 8月25日発売の最新号、『月刊バスケットボール10月号』の“篠山センセーの 上手くなりたきゃ、考えろ!”は特別編第2弾として、自身の中学時代と高校時代を振り返ってもらった。

 

 本来であればインターハイと全中で国内バスケが盛り上がっていたであろう8月。今年は新型コロナウイルスの影響で両大会ともに中止という決断を下さざるを得ない状況になったが、そんな中でも徐々に練習などは再開され、ウインターカップに向けて動き出すチーム、選手も多い。

 

 今回は篠山選手(川崎)に本人の中高生当時の思い出や意識して取り組んできたことなどを伺ったので、その一部を抜粋して紹介する!

 

 

 全中には惜しくも出場できなかった篠山選手ですが、地区大会や関東大会に向けてどういった気持ちで練習をしていましたか?

 全中には各ブロックを突破しなければ出られないので、中学生が一番全国大会に出るのが難しいカテゴリーだというのは知っていました。その中で1、2年生の頃は『ジュニアオールスターに選ばれる』という目標へのアピール、3年生の頃は『一緒に戦ってきた仲間と少しでも長くプレーしていたい』という気持ちがありました。それに少しでも上に勝ち上がれば高校へのアピールにもなるので、その当時から先のことを考えながら過ごしていたと思います。

 

 中学生当時、大会や日々の練習に対するモチベーションは何でしたか?

 いろいろなモチベーションがありました。例えば1個上の先輩たちの結果を超えたい、県内のライバルよりも上に行きたい、コツコツ一緒に取り組んできた仲間と少しでも長い夏を過ごしたい、とか。そういったものは大きなモチベーションでした。引退後もさっき話したようなバスケットをできる環境はあったにしろ、受験勉強に切り替える必要もありましたし、『この最後の夏をまだ終わらせたくない』という気持ちは強かったですね。あ、今思い出しましたけど、引退した後は僕も塾に行かされました(笑)。

 

 進学した北陸高は全国区の強豪です。その中で最終的に中心選手として活躍できた最大の要因は何でしたか?

 メンタル面だったかなと思います。よく「試合に出られなくてもいいから強豪校でプレーしたら得るのものがあるのではないか」という話を聞きますが、僕はわざわざ神奈川県を離れて北陸に行くからには『絶対に成功したい』という思いがすごく強かったです。神奈川って当時から中学を卒業して県外に翔び出していく選手が多かったんですよ。その中で田臥さん(勇太/宇都宮)のように花を咲かせる選手もいれば、そうでない選手もいます。僕は両方を見てきたので必ず『県外に出て正解だった』と思わせたかったので、高校時代が最もモチベーションが高かったですね。一日一日、一回一回の練習ゲームに懸ける闘争心やコーチ陣にアピールする姿勢は誰にも負けていなかったと思います。

 

 全編は最新号をお楽しみに!

 

(月刊バスケットボール)



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