月刊バスケットボール6月号

“籠球群像”オフェンスマシーン川村卓也(三河)を大解剖

 8月25日発売の最新号、『月刊バスケットボール10月号』の籠球群像 第29弾はシーホース三河#1川村卓也のキャリアに迫る!!

 

 岩手県盛岡市に生まれ、宮城県仙台市で幼少期を過ごした川村少年はスラムダンクとマイケル・ジョーダン(元ブルズほか)を見続け、バスケットにどっぷりとハマっていった。「キャラクターはみっちー(三井寿)が好きで、ブルズと『スラムダンク』のビデオは擦り切れるぐらい見ていました。ジョーダンを見てどうやったらこういう選手になれるのか、みっちーを見てどうやったらこんなに遠くからシュートが入るようになるのかを当時の川村少年は常に考えていました」と当時を懐かしげに懐古する川村。小学生当時から身長は高かったが、ミニバスチームのコーチから「アウトサイドのプレーが向いている」と言われたことでジョーダンや三井のようにアウトサイドのスコアラーとして活躍。

 

 宮城県内では目立つ存在となり、ジュニアオールスターにも出場している。しかし、そこで感じたのは全国のレベルの高さ。「自分は宮城県内ではある程度できると思っていたんですけど、ジュニアオールスターで福岡代表の堤啓士朗(福岡)、山下泰弘(島根)、寒竹隼人(琉球)のトリオを見たときに『上には上がいるな』と感じましたね。あの衝撃は今でも覚えています」。

 

 当然、高校も多くの選択肢があったはずだが、「当時は仙台高が強豪で、県内なら一択でした。でも、僕は『仙台高や能代工高といった東北ブロックで長けているチームを倒せる高校に進みたいな』と思ったんです。その2強をどうにか倒したいという思いで選んだのが盛岡南でした。単純に、強いところを倒したい。ジュニアオールスターで県外のすごい選手たちをたくさん見て『こういう選手たちを自分が中心のチームで倒したい』という思いを持っていた」と親の実家近くの盛岡南高進学を決断した。

 

オーエスジー時代

 

 ここで川村はスコアラーとして開眼。3年時には同校をインターハイベスト8に導き、準々決勝でも洛南高を最後の最後まで追い詰めた。「あの洛南にもうちょっとで勝てるというところまでいきました。本当に接戦で最後のショットを託されたんですが、それを決めることができませんでした。もしあのとき勝っていたら高校時代にもっと有名になれていたのかなって思います(笑)」と川村は笑ったが、このショットが後の“クラッチシューター川村”の原点になったことは明らかで「あの一本を振り返ると勝負どころの一本の大切さというのは今でも常に念頭に置いていますし、そういった仕事をチームのためにしたいというのは今でも変わりません」という揺るがぬ思いを確固たるものとした瞬間でもあった。

 

 高校卒業後は中村和雄氏に見初められ、史上初の高卒プロ選手としてオーエスジーフェニックス(現三遠)に入団。周囲からのネガティブな意見をもエネルギーに変え、川村は新人王やベスト5、日本代表選出など瞬く間に才能を開花。「中村HCからはよく『お前がいくら良いプレーをしてもまだ周りは認めてくれないぞ。まだ19歳の小わっぱが鼻の先を伸ばして調子に乗るなよ』と言われました。この言葉は僕にとって本当に良いアドバイスで、伸びかけた鼻を何度も何度も折ってくれたんです。自分のプロキャリアの最初の3年間は今考えてもすごく勉強になったし、成長できた期間でした」。名将に育てられた川村は国内トップ選手に成長していた。

 

 4年目にはリンク栃木(現宇都宮)へ移籍し、田臥勇太と共に2010年には球団史上初優勝に大きく貢献。「バスケット人生の中で初めて日本一を取った瞬間でもありますし、あの優勝以外で日本一にはなったことがありません。団体スポーツをやっている中で、優勝は最大限にみんなで喜びを分かち合える瞬間でしたし、本当に素すばらしい経験ができたと感じています」と喜びを語る川村。特にファイナル第3戦で決めたブザービーターは、日本バスケット史に刻まれるビッグショットとしてこれからも語り継がれていくことだろうし、「“川村はクラッチシューター”と言われるようになるにあたって決定的な一本があのシュート」(川村)だった。

 

横浜時代

 

 その後はNBAサマーリーグへの挑戦を経て、Bリーグ開幕と共に横浜へ。在籍した3シーズンは成績こそ低迷したが「それでも集客やグッズの売り上げは低くはなかった。ビーコルというクラブはそれだけbjリーグ時代から皆さんが支え、一緒に成長してきたクラブで『そんなクラブをB2に下げることは絶対にできない』と思っていたからこそ、残留プレーオフは印象深いです。横浜の皆さんと共にB1に残れたというのは僕にとっていい思い出」というかけがえのない経験ができたことも川村のキャリアにより深みをもたらした。

 

 現在は長年担ってきたファーストオプションの座を金丸晃輔やダバンテ・ガートナーに譲り、ロールプレーヤーとして三河で自身2度目の優勝を目指している。「『もう一度だけ日本一になりたい。あと一回でっかい花火を打ち上げてコートを去りたいな』と強く強く思っています。充実した日々を過ごしながら三河でのプレーに全力を注いでいきます」という川村卓也の姿はベテランの風格をまとっていた。

 

 本編は最新号を楽しみに!

 

(月刊バスケットボール)



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