月刊バスケットボール5月号

“籠球群像”南国育ちの道産子、松島良豪(北海道)を徹底解剖!

 4月25日発売の『月刊バスケットボール6月号』の籠球群像 第25弾では、レバンガ北海道#32のキャリアに迫る!!

 

 生まれ育った沖縄県で高校までを過ごした松島は、指導者であり、現在はコザ中を率いる父・良和さん、姉の加藤有梨江さん(元三菱電機)、元選手であった母を持つバスケ一家の出身。

 

「いつからバスケットを始めたというよりも自然にやっていた」というように、バスケットは生活の一部であり、身近な存在だった。本格的に競技を始めると、並里成(琉球)らとともにプレーし、バスケットのイロハを学んでいった。ただ、コザ中時代は父がコーチだったこと、年齢的に思春期を迎えていたこともあって「父に怒られた日の夕飯なんて一言もしゃべらなかったですよ(笑)」と親子二人三脚ならではの悩みもあったそうだ。

 

 そして、嘉陽宗紀コーチ(現・豊見城高校)を慕って進学した小禄高では司令塔としてのプレースタイルを確立。インターハイやウインターカップなどの大舞台で場数を踏み、選手としても、人間としても大きくステップアップ。

 

嘉陽コーチの下、司令塔として成長した小禄高時代

 

 その後、当時関東2部の国士舘大進学に伴って初めて沖縄を出た松島を待っていた最初のギャップは気温差。「沖縄県民はダウンジャケットなんて持っていませんからね。新入生も含めた3月の長野合宿なんて手が凍えて練習なんてできなかった」と松島。

 

 そんなこんなで関東の気候に慣れた松島は上級生になると、自身の特徴であるコミカルなキャラクターを封印し、“鬼キャプテン”としてチームを率いた。同期のチームメイトだった髙橋裕二(茨城)、原修太(千葉)らの支えを受けて鍛え上げられたチームは最後の最後で悲願の1部昇格とインカレ出場を果たした。

 

 引退後は特別指定選手として兵庫ストークス(現・西宮)に入団。1シーズンをプレーしたのちに北海道へやってきた。北海道ではチームのつなぎ役として、また堅実な司令塔、粘り強いディフェンダーとして活躍。一方でそのキャラクターから人気も高く、他の選手とは一線を画した選手としてコート内外で活躍。今季限りでの引退となったが、今後はコーチを志し、大学院で勉強に励むそうだ。

 

 惜しまれつつも引退を決断した松島良豪のキャリアを振り返ってみよう!

 

(月刊バスケットボール)



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