月刊バスケットボール5月号

“籠球群像”ブレックスファンから愛される渡邉裕規

 12月25日発売の最新号、『月刊バスケットボール2021年2月号』の籠球群像 第33弾は、宇都宮ブレックス#13渡邉裕規のキャリアに迫る!!

 

 神奈川県出身の渡邉は元々はサッカーをやっていたが、兄がミニバスを始めるタイミングでバスケットに転向。『スラムダンク』ブームも相まってのことだったが、それ以上に兄の影響が大きかったそうだ。

 

 バスケットを始めてから渡邉がずっと抱いていること。それは「試合に出ること」だ。「有名になろうというよりは『まずは試合に出よう』と思って頑張っていて、いざ出られるようになったら『今度は勝てるように』ということの繰り返し。必死にやっていたら今こうなったという感じです」と渡邉。

 

 中学時代にはその必死にやった成果がジュニアオールスター選出にもつながったが、ここで人生初めての挫折を経験することとなる…。「高校の推薦の話は一切来なかったんです。中学の頃は多分てんぐになっていて、そういうのが分かっちゃったんだろうな」と渡邉。世田谷区の高校に通っていた兄の話の中で知っていた世田谷学園にも自ら売り込んだ。

 

「中3の夏休みに毎日のように練習に通ったんです。全然OKもらえなかったんですけどね(笑)。周りの同い年の選手は高校から誘いを受けているのに自分だけ何もないわけで、その中で練習に通い続けてやっとの思いで空いた席に座ることができました」とやっとの思いで世田谷学園に入学することができた。

 

世田谷学園高時代

 

 そして、これが運命の出会いとなった。世田谷学園を率いる伊藤恒コーチが「フラットで誰にもひいきしない先生だったので、推薦だろうとそうでなかろうとスタートラインはみんな一緒です。その考え方が負けず嫌いの僕にとってはすごく合っていました」と、他の強豪であればスタートラインにさえ立てていなかったかもしれない渡邉にも平等なチャンスが与えられていた。

 

 その中で入学前に遠征に行った『バスケットボールカーニバル東日本大会』で出場機会を掴むと、そのままスターターに定着。以降、その座を譲ることなく中心選手として全国大会にも出場した。

 

 その活躍が評価され青山学院大に進学することとなった渡邉だが、中学時代に進学に苦労したこともあって「当時の青学の監督だった長谷川健志さんがある日、突然練習を見に来たんです。「何事だ!?」って思っていましたけど、例の中3の件がありますから僕を見に来たとか、僕に声をかけに来たなんて1ミリも思っていませんでした。そうしたら長谷川さんから声をかけられて「君が欲しいからウチに来てくれないか?」って。「え、俺?」って感じでしたよ(笑)」と、驚きで目を丸くしたそうだ。

 

 チャンスに飛びついた渡邊はその誘いに2つ返事で「行きます」と答え、関東一部の青山学院大へ。後輩には橋本竜馬(北海道)や辻直人(川崎)、比江島慎(宇都宮)といった華々しいスターが、先輩には岡田優介(東京Z)、正中岳城(元A東京)、広瀬健太(SR渋谷)らいぶし銀の頼れる選手が多かった中で、キャンパスライフそっちのけでバスケットに打ち込んだ。先輩の岡田と同じく、同大の花形学部の一つである国際政治経済学部に所属していたこともあって「余裕なんてなかった」そうだ。

 

 その活躍が認められ、卒業後は本人も予想していなかったパナソニック入団、日本代表入り、そしてブレックスとの出会いなど…。渡邉の人生は無限の広がりを見せ、今回の取材に至ったわけだ。渡邉裕規のキャリアの全貌は最新号をチェック!

 

(月刊バスケットボール)



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