月刊バスケットボール8月号

NBA

2020.06.14

【コービー・ブライアント追悼コラム】コービーがNBAの顔となった日

コービー・ブライアントという選手が一時代のNBAの顔であったことは誰もが認めるところだと思います。では彼が真にNBAの顔をなったのはいつだったのでしょうか? 今回はそんなことを考察しながらこの原稿を書かせていただきました。

文=堀内 涼 撮影=佐々木智明

 

 

 

 それまでいくら勝利を積み重ねても、その表情を緩ませることがかなったコービー・ブライアントが、その内に秘めた感情を爆発させ、満面の笑みで勝利を喜んだ瞬間がありました。6月14日。今日(日本時間では同15日)は“コービーのレイカーズ”が初めてのチャンピオンシップを獲得した日です。

 

 コービー自身にとっては4度目の栄冠でしたが、この優勝はシャキール・オニール抜きで、自身のチームがリーグ最強だということを知らしめたという大きな意味を持っていました。コービーとシャックといえば、NBA史上最強と呼ばれることもあるワンツーパンチであると同時に、不仲説がひっきりなしに取り沙汰されたデュオでもありました。2月24日に行われたコービーの追様式でシャックは「時々、幼い子どものように言い争ったり、喧嘩をしたり、からかいあったり、ろくでもないことを言って攻撃的になったりしたことはありました。でも誤解しないでください。周囲からみれば仲たがいしていたと思われていたときにも、カメラが向けられていないところで、彼と私はお互いにウインクして『ガツンとやってやろうぜ』などと言っていたんです。決して深刻には考えていませんでした。本当はお互いを尊敬していたし、愛情を持っていました」と自身とコービーの間には、周囲が思っているほどの摩擦はなかったことを強調していますが、果たして…。

 

※シャックの追悼コメント全文は以下をチェック

【コービー・ブライアント追悼コラム】シャキール・オニールの「贈る言葉」 Part1

https://www.basketball-zine.com/regend-of-kobe15

【コービー・ブライアント追悼コラム】シャキール・オニールの「贈る言葉」 Part2

https://www.basketball-zine.com/regend-of-kobe16

 

 コービー亡き今、その真意を本人に確かめることはできませんが、負けず嫌いの代表格のような男です。冗談を交えてでも「シャックのことは好きではなかった」と言うのではないでしょうか。何しろ3連覇達成当時のファイナルMVPは全てシャックであり、彼らの呼び方も“コービー&シャック”ではなく、“シャック&コービー”だったのですから。04年のオフにシャックがトレードされて以降、コービーは個人としてはキャリア絶頂期を迎えながらもチームは弱く、不遇のキャリアを過ごしていました。その間にシャックはマイアミ・ヒートでリングをもう一つ手にしたのだから、意識しないわけがありません。

 

 転機となった07-08シーズンは、シーズン中盤にパウ・ガソルを加えたことでファイナル進出の大躍進を遂げるも、抜群のケミストリーを誇ったボストン・セルティックスに2勝を挙げるのが精一杯。特に第6戦では92-131という屈辱的な敗戦を喫し、緑の紙吹雪が舞うアリーナを後にしました。コービーにとっては優勝に手が届く位置に戻ってきた手応えと、もう一歩の遠さを身を持って実感したファイナルだったはずです。

 

 翌年もファイナルに進出したコービーとレイカーズはドワイト・ハワード擁するオーランド・マジックと激突。第1戦ではコービーが40得点の大爆発で大勝。第2戦もあわや逆転負けのピンチを切り抜け、終わってみれば4勝1敗でマジックを下して栄冠を手にしたのです。ファイナルの話を省略しすぎた感はありますが、このシリーズでのコービーのパフォーマンスは、ファイナルシリーズ史上最高クラスのものでした。平均32.4得点、5.6リバウンド、7.4アシスト、1.4スティール、1.4ブロックというモンスタースタッツは言うまでもなく、イースタン・カンファレンス・ファイナルでこのシーズンのMVPであるレブロン・ジェームズに好守を見せたマイケル・ピートラスやヒドゥ・ターコルー、新人のコートニー・リーに格の違いをまざまざと見せ付け、同時にインサイドに陣取るハワードに執拗なディフェンスを仕掛け続けました。

 

 リーダーとしても成長した姿を見せ、プレー面と精神面の両面でコート上の選手の中でずば抜けた存在となったのです。ようやく自らの手で掴み取った栄冠。3勝1敗とした時点でも緩むことがなかったその表情は、優勝が決定した瞬間、笑顔に変わったのです。これまで背負ってきた重い荷物をついに下ろしたかのように。酸いも甘いも経験したコービーが、スーパースターからNBAの顔となった日。それが09年6月14日だったのではないかと感じています。

 

 

コービー追悼特設ページ『Dear Kobe Bryant』

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(月刊バスケットボール)



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