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2020/06/09

【コービー・ブライアント追悼コラム】コービーの執念を支えた男

20年前の今日、2000年6月9日のロサンジェルスで行われたインディアナ・ペイサーズ相手の2000NBAファイナル第2戦、コービーは第1Qに右ウイングからミドルジャンパーを決めた直後、着地時にジェイレン・ローズの足に乗って左足首を捻挫してしまいます。しかしこのケガが伝説の武勇の発端となりました。ここではそのストーリーにちなみ、故障の多かったコービーを長年支えた名トレーナー、ゲイリー・ビッティーについて触れていきます。

文=柴田 健 撮影=佐々木智明

 

2010年、王座獲得直後のレイカーズ。一番右の黒いスーツがビッティー

 

 

2000NBAファイナルでの武勇

 

 ビッティーは1984年から2016年まで、32年間にわたりロサンジェルス・レイカーズでトレーナーとしてチームを支えてきた人物です。コービーの著書『マンバメンタリティー』の中でも、現在レイカーズでスポーツ・パフォーマンス・ディレクターを務めるジュディ・セトとともに、コービーが信頼を置く“ファミリー”の一人として紹介されています。

 

 今年1月、コービーの悲報を知らされたビッティーはインタビューで「これは悪いジョークだ…。私はコービーの成長を見守り、コービーは私が年老いていくのを見てきたのに、私の方が長生きだなんて…」と涙をにじませながら話しました。その際、忘れられない思い出として語ったのが、2000年6月9日の出来事。「あの時コービーは本当にひどく足首をひねってしまった。私は関節を動かして…、つまり足の周りの骨をほぐしたのだが、突然(足首関節の中で)何かがはじけるような感触が感じられた。彼も、私もだ。そこで、これはものすごくいい兆候か、ものすごく悪い兆候かのどちらかだぞ、と言ったんだよ」

 

 そこから先のストーリーは誰もが知るところ。この試合では9分に満たない出場時間に終わり、続く第3戦を欠場したコービーでしたが、2勝1敗で迎えた第4戦では、延長戦でシャックがファウルアウトした後決定的な活躍を披露して勝利を呼び込みます。延長5分間はフィールドゴール5本中4本を成功させ8得点。負ければシリーズを2勝2敗のタイに持ち込まれ、しかも第5戦もアウェイ。どうしても落とせない一戦でみせたクラッチパフォーマンスに勢いを得たレイカーズは、最終的に6試合でこのシリーズを制することとなります。

 

 

コービーの辞書に「できない」、「やらない」はない

 

 コービーのキャリアの中で、このときのケガとそれを乗り越えて自身初のタイトルを手にしたストーリーは間違いなく大きな意味を持っています。このとき、そしてその後もことあるごとに、コートサイドでコービーの手当てをするビッティーの姿を、私たちは何度となく目にしてきました。

 

 脱臼した指をその場ではめ込んでほしい、骨折した指をテーピングで固めてプレーさせてほしい。コービーのそんな信じられない要望に、ビッティーは答えなければなりませんでした。現代的な考えの中で、一般論としてこのような対応を推奨できるのかと問われれば「イエス」と答えることは難しいでしょう。しかしそれが、二人にとっての現実でした。ビッティーはコービーについて、「アスレティック・トレーナーとしての視点から見れば、コービーは何ら特別な存在ではなかった」とも言っています。ではどこが違っていたのか? 「ただし、あれだけ懸命に取り組むプレーヤーはほかにいませんでしたね」というのがその答えでした。昨年、別のインタビューでも、ビッティーは同様の答えをしていました。「背は高いけれど突出しているわけではありません。素早いといってそれほどのものでもない。スピードも力強さもあるけれど…、つまりほかにもっとすごい能力を持ったプレーヤーがいるのですが、彼らはリングを一つも持っておらず、コービーは5つも持っている」

 

「彼には自分の辞書から『できない』、『やらない』という言葉を取り除く厳しさがありました。自分ならできる、と信じることができたのです」。

 

 ビッティー自身のサイト“ビッティー・レポート(vittireport.com/)”には、2013年にコービーがアキレス腱を断裂した際のやりとりが振り返られていました。「痛みに身もだえしながら、彼は誰かに蹴られたような感じだったと言った。それはアキレス腱断裂の典型的な兆候だ。そんな中、彼は断裂したアキレス腱を引っ張って元に戻そうとしていた」。そうやってもうまくはいかない…ビッティーが状況を説明すると、コービーは「だったらロッカールームに戻ってプレーできるようにテープしてください」と言い返したそうです。

プレーできない自分を認めない――尋常ではないそんな執念をあらわに戦い続けたコービー。それを受け止め、支えるに足る秀でた技能を持ったビッティーの存在あればこそ、その20年に及ぶキャリアは輝きを放つことができたと言えそうです。

 

 

コービー追悼特設ページ『Dear Kobe Bryant』

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(月刊バスケットボール)


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