月刊バスケットボール8月号

NBA

2020.06.07

【コービー・ブライアント追悼コラム】アイバーソンが捧げた言葉

2001年6月、ロサンジェルス・レイカーズはフィラデルフィア・セブンティシクサーズと王座をかけてNBAファイナルを戦いました。その第1戦が行われた日が、19年前の今日、6月6日でした。そこで今回は、この頂上決戦でコービーと戦ったもう一人のスーパースターであるアレン・アイバーソンが、悲報をソーシャルメディアにつづった言葉を紹介します。

文=柴田 健

 

2001NBAファイナルでのコービーとアイバーソン

 

 

アイバーソンの追悼投稿

 

 今日の気持ちを言葉で 言い表すことはできない。頭の中を渦巻いているのは2つの言葉――破滅と悲哀、それだけだ。昨日この知らせを受けて以来、何をやってもこの感覚を振り払うのは無理みたいだよ。

 

 人々はオレたちがリーグでお互いどんなふうにやりあってきたかを覚えていてくれるだろうけど、オレにとってはそれだけに終わらない、もっと深い意味がある。オレたちが史上最も豊作だったとも言われるNBAドラフトで、ともに指名を受けたストーリーは、これからもずっと語られるに違いない。しかしながら、アイツの高潔さとバスケットボールに向けられた敬愛の念こそが、オレたちがダンスフロアで競い合うたびに、いつもオレの目を真っ先にとらえるものだった。

 

 アイツとは、頭から離れることのない思い出が一つある。あれはルーキーシーズン、オレにとって初めてレイカーズとの試合に向けLA遠征したときのことだった。あいつはオレのホテルにやってきて、レストランに誘ってくれたんだ。その後ホテルに戻って別れる前に、アイツが「今夜、この後はどうするの?」と聞いてきた。オレの返答は「クラブに行くよ。そっちは?」。アイツは「コートに戻るよ」と言った。いつ会ってもそうだった。バスケットボールにも、人生の歩み方についても、本当に真面目だった。怠ることなく準備を重ねていた。“マンバ”メンタリティーとオレの兄弟の生きざまには、誰もが学べるものがある。張りあった相手として、友として、兄弟として、オレのアイツに対する敬意が消えることはないだろう。

 

 奥さんのバネッサと彼らの子どもたち、昨日の悲劇の犠牲となったすべてのご家族の人々に哀悼の意を表し、祈りを捧げます。父親の立場として、皆さんのお気持ちを想像することもできません。

 

 (このような悲報に触れ)オレたちは大丈夫ではない。でも一緒に乗り切る力を見出そう。コービーはそれを望んでいるに決まっているから。

 

 

最高峰の“ダンスフロア”での舞

 

 以上がアイバーソンの追悼メッセージでした。

 

 コービーとアイバーソンは、二人とも1996NBAドラフトで指名を受け、その後NBAの顔として活躍しました。しかしデビュー以降のキャリアはまったく異なる経過をたどっています。1巡目1位でシクサーズの指名を受けたアイバーソンはデビュー直後から華々しく活躍し、チームの主力、あるいは次代を担う存在として注目を集める存在。一方コービーは、無得点のデビュー戦に始まり、スターターに定着するまでに2シーズンかかりました。

 

 2017年4月にプレーヤーズ・トリビューンに公開されたコービーの手記には、“打倒アイバーソン”といった趣の、憎々しいまでのライバル心が描かれています。それほど当時のコービーにとって、アイバーソンは大きな存在だったのでしょう。

 

 その2人が最高峰の“ダンスフロア”で、最高の舞を見せたのが、19年前のNBAファイナルでした。6月6日にステイプルズ・センターで行われた第1戦では、アイバーソンが48得点と爆発し、延長の末シクサーズを勝利。ただしシリーズを制し連覇を達成したのがコービーのレイカーズであったことはご存じのとおりです。

 

 “悪童”のイメージがつきまとったアイバーソンですが、このコービー追悼メッセージからも、性根の温かな、尊敬すべき人格者であることが伝わってきます。2016年に殿堂入りした際のスピーチでは「(コービーも)今年で引退すると聞いている。そうなったらもっと素晴らしいことをやってくれるに違いない」とその後の展望に言及。NBAという舞台に“同期入社”した好敵手コービーに対し、格別の思い入れがあったからこその言葉だったのでしょう。

 

 

補足:アイバーソンの追悼メッセージ原文

 

Words cannot express how I'm feeling today. The only 2 words that ring in my head - devastated and heartbroken. I cannot seem to shake this feeling no matter what I've tried to do since hearing this yesterday.

 

People will always remember how we competed against each other in the league, but it goes so much deeper than that for me. The story of us being drafted in arguably the deepest class of its kind ever in the NBA can be debated for many years to come. However, his generosity and respect for the game is something that I witnessed first-hand every time we stepped on the dance floor to compete.

 

It's one memory of him that I can't stop thinking about. It was our rookie season and my first trip to LA for a game against the Lakers. He came to my hotel, picked me up and took me to a restaurant. When we returned before he left, he asked me, "What are you going to do tonight?" My reply was, "I'm going to the club, what are you going to do?" He said, "I'm going to the gym." That is who he always was, a true student of the game of basketball and also the game of life. He prepared relentlessly. There is something we can all learn from the "Mamba" mentality and from the way my brother lived his life. He will always have my respect as a competitor, as a friend, as a brother.

 

My thoughts and prayers are with his wife Vanessa, their children and the families of all of the victims of yesterday's tragedy. As a father, I cannot wrap my head around how they must feel.

 

We are not okay. But we will find the strength to pull through this together because that's what Kobe would want us to do.

 

 

コービー追悼特設ページ『Dear Kobe Bryant』

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(月刊バスケットボール)



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