月刊バスケットボール8月号

NBA

2020.05.01

【コービー・ブライアント追悼コラム】コービー・ブライアントへの手紙を書いたジョン・ジェイコブソンさん(後半)

『英雄伝説 コービー・ブライアント』のP68から始まる『コービー・ブライアントへの手紙』の原文を、2015年秋に執筆したジョン・ジェイコブソンさんとのやりとりを紹介する記事の後半を公開。前回公開分もあわせて、お時間があるときにお読みになってみてください。

文=柴田 健

 

『英雄伝説 コービー・ブライアント』よりジェイコブソンさんの原文掲載ページ

 

 ジェイコブソンさんが最初にブログをはじめたのは、両チームがNBAファイナルで再会を果たした2010年でした。そのタイトルは『スカラ・フォー・スリー(Scala-4-Three)』。セルティックスのファンなら、このタイトルを見ると思わず口元が緩むのではないでしょうか。ほかでもない“ホワイトマンバ”こと、ブライアン・スカラブリンにちなんだ命名です。実況が「Scala for three!」と叫べば、それは「スカラブリンがスリーを放った!」という意味合いになります。
 
「それは最高な命名じゃないですか(笑) セルティックスのホワイトマンバですよね!」と伝えると、「そのとおり。僕はどんなマンバも好きみたいですね」と茶目っ気のある返答をくれました。スカラブリンはかつてセルティックスに在籍したプレーヤーの中でもお気に入りとのこと。そして、熱烈な思いがストレートに伝わるタイトルがつけられたこのブログでの執筆が、あらたな舞台にもつながりました。ジェイコブソンさんは2011年に、セルティックスの熱烈なファンサイトとして知られる『セルティックス・ライフドットコム(CelticsLife.com)』にも招待され、その後現在のプラットフォームである『トミー・ポイントドットコム(TommyPoint.com)』を、2015年に立ち上げることとなるのです。
 
『コービー・ブライアントへの手紙』の原文(Dear Kobe Bryant)を書いた当時は、よもや自分の文章が世界中の脚光を浴びるとは思いもしなかったそうで、「あれほどたくさんの人に読んでもらえて、思いをつなぐことができるとは、まったく思っていなかった」と反響に驚いた様子でした。最初の公開は『トミー・ポイントドットコム(TommyPoint.com)』だったのですが、その後この手紙は「Ballislife.com」をはじめとした国内外のニュースソースで、感動的な惜別の手紙として紹介されることになったのです。
 
 セルティックスとレイカーズの壮大な物語において、主役の座を務めた宿敵がコートを去ろうというそのとき、ジェイコブソンさんの心には、コービーに対する最大級の称賛が浮かぶばかりでした。「僕の年代の人々にとってコービーは、人格形成の過程に存在したバスケットボール界の顔と言えます。それはセルティックスのファンにとっても同じで、彼の偉大さや情熱、捧げてきたものが僕にもわかったし、すごいと思っていました。コービーを倒せばそのチームは最強だということ。なぜかといえば、コービーが世界一だったのですからね」。
 

2010NBAファイナル第7戦でのコービー
 
 アメリカのスポーツ文化の一部というだけにとどまらず、世界中に知られる存在となったコービーは、セルティックスとレイカーズの歴史的なライバル関係に、それまで以上にまぶしい輝きをもたらしました。
 
 1991年生まれのジェイコブソンさんと、その同年代の人々は、20歳になる少し前、高校生・大学生にあたる年齢で、コービーのレイカーズとセルティックスによる2度の“ファイナル対決”を目撃したことになります。シリーズの行方としては1勝1敗。ファイナルでの個別試合勝敗数は7勝6敗でセルティックス。しかし最後に勝ったのはレイカーズ…。もしもこの時のチームがもう一度だけ究極の王座をかけて戦ったら、どちらが強いのか? そんな話を始めたら、外出自粛が解けるまで会話が終わらないのではないかと思います。
 
 その答えは、聞く人の立場によって変わることでしょう。ただし彼らが築いた忘れられない瞬間の価値は不変です。「彼の足跡とその偉大さに感化された人は何百万人もいると思うけど、僕も間違いなくその一人ですね」というジェイコブソンさんの言葉にも、それが表れているように思います。
 
☆ジェイコブソンさんのブログサイト「TommyPoint.com」で公開された「Dear Kobe Bryant」原文へのリンク
 
※記事前半へのリンク
 
 

コービー追悼特設ページ『Dear Kobe Bryant』

↑画像をクリックして特設ページへ↑

 

(月刊バスケットボール)



PICK UP