月刊バスケットボール6月号

NBA

2020.04.16

【コービー・ブライアント追悼コラム】あの第7戦を今でも忘れない。

今の20代中盤から30代中盤のNBAファンにとって、コービー・ブライアントはNBAの顔だった。彼のプレーに魅了され、彼のプレーをマネしたことがある方は多いはずだ。現在、月刊バスケットボールの編集者として働く私もその一人。今回はコービーを尊敬しつつも、宿敵セルティックスファンとして青春時代を過ごした私の、今も忘れられない一試合を振り返っていく。

文=堀内涼

写真=佐々木智明

 

 

 コービー・ブライアントの特設ページ開設にあたって、月バス編集者として働く私も何か一本原稿をと思い立ちました。そのとき、真っ先に脳裏に浮かんだ試合は2010年のNBAファイナル第7戦。

 
 本来なら編集者たる者、どこかのチームをひいきすることはタブーなのかもしれません。ただ、この原稿についてはそれが起きていた当時、一人のセルティックスファンとしての視点からつづるのがよいと思い、そうさせていただきます。
 
 この10年の間で数々の名勝負が繰り広げられてきたNBAファイナル。11年のダラス・マーベリックスの初優勝、13年のマイアミ・ヒート対サンアントニオ・スパーズ戦の第6戦でレイ・アレンが沈めた劇的な同点弾、2016年の奇跡とも呼べるクリーブランド・キャバリアーズのカムバック、そしてゴールデンステイト・ウォリアーズの王朝…。大きな時代の変わり目とも呼べるこのディケイド最初のファイナルが、ロサンジェルス・レイカーズ対ボストン・セルティックスでした。
 
 のちにこのファイナルシリーズは史上最も白熱したシリーズの一つと言われることになりますが、私にとってもこのシリーズの、特に第7戦は忘れることができません。
 
 第5戦を終えた時点でセルティックスが3勝2敗と優勝に王手。我がセルティックスが08年に続き、再びレイカーズを破るまであと1つ…。しかし、多くのセルティックスファンには懸念事項が一つありました。コービー・ブライアントです。
 
 何とか第7戦だけは避けたい、第6戦でシリーズを終わらせたい。でなければ、コービーが大爆発して、一気にシリーズをひっくり返されるのではないか。そう恐れていたからです。結果的に第6戦は大敗した上に、ここまでレイカーズのツインタワー(アンドリュー・バイナムとパウ・ガソル)とわたり合ってきたケンドリック・パーキンスの負傷離脱も重なり、第7戦に向けたセルティックスの懸念事項は膨れ上がったのです。
 
 そして迎えた第7戦。ファンタスティック4(ラジョン・ロンド、ポール・ピアース、レイ・アレン、ケビン・ガーネット)にラシード・ウォーレスを加えたスターターを起点にセルティックスは試合を優位に進めます。恐れていたコービーも気合いが空回りしたのか、シュートタッチが悪く、3Qにはレイカーズから最大13点のリードを奪っていました。
 
 このときの心境は忘れられません。リードしているのにもかかわらず、追い付かれるのではないか、逆転されるのではないか、と不安を抱いていました。最大のライバルがホームLAで後がない状況。こういった場面で幾度となく対戦相手を仕留めてきたコービーという男の存在が、私を不安にさせたのです。
 
 結局、この試合でコービーが本調子に戻ることはなく、その不安自体は杞憂に終わったのですが、終盤のコービーのプレーはこれまでとは全く別物だったことを記憶しています。そこには仲間を信じ、アシストやリバウンドでチームをリードするコービーの姿があったのです。セルフィッシュだと言われ続けてきたあのコービーが、です。
 
 そんなリーダーのプレーに引っ張られたレイカーズは徐々に点差を詰め、ついに逆転。盛り上がるレイカーズベンチ、湧き上がる観客席。この流れからセルティックスが再び逆転することは、もう不可能でした。最後にラマー・オドムが高々と放ったボールをコービーがキャッチ。人差し指を天に向け、満面の笑みで優勝の瞬間を迎えました。
 

4Q残り1分1秒、コービーのパスを受けたロン・アーテストの3Pシュートはこの試合を象徴する一発だった
 
 こんなにも悔しい負け方があるのか。行き場を失った感情が胸の中で爆発しました。しかもコービーに仕留められたのではなく、仲間を信じてボールを託し続けたコービーの期待にチームメイトが応えた中での逆転負けだったのですから、ぐうの音も出ません。
 
 人間、良いことよりも悪いことの方が記憶に残ると言いますが、こんなにも一つの試合で打ちのめされたのは、後にも先にもこの試合だけです。それほどまでにレイカーズというチームが、コービー・ブライアントという男が特別な対戦相手であり、絶対に負けたくない相手だったのですから。
 
 それだけに、コービーの急逝には言葉も、そして涙すらも出ませんでした。悲しみ、驚き、戸惑い…一つの言葉では到底表現できないその感情は、2月24日の追悼式でマイケル・ジョーダンが語った「私の一部が失われた」という言葉の、まさにそのとおりのものでした。最も敵対視していたはずのコービーは、私にとって最も愛すべき存在でもあったのです。
 
 

コービー追悼特設ページ『Dear Kobe Bryant』

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(月刊バスケットボール)



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