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2020/03/25

コービー・ブライアント追悼特設ページ開設に寄せて

 このたび月バス.comで、1月26日にヘリコプター事故で帰らぬ人となったコービー・ブライアントを追悼する特設ページを開設しました。折々、コービーに関するいろいろな話題を発信していきますので、ぜひお読みいただけたらと思います。今回は2016年までHOOP編集部に所属した者として、自分なりの“コービー観”を記してみます。コメントもぜひ積極的にご記入ください。

 

 

レイカーズファンだったからこそコービーを好きになるのに時間がかかった

 

文=柴田 健(HOOP)

 

 1964年生まれの私は、NBAが日本で人気を集め始めた1970年代に小学生から中学生だった。バスケットボールが好きな兄の影響でミニバスからプレーし始めていた私が、当時興味を引かれたのが月刊バスケットボール誌面で目にしたカリーム・アブドゥル=ジャバーと彼にまつわるストーリー。カレッジバスケットボールの名門UCLAから鳴り物入りでミルウォーキー・バックス入りし、その後ロサンジェルス・レイカーズに移籍したカリームのスカイフックを身に付けたい一心で、校庭のゴールで何度もそのまね事をしたものだ。

 

 月バス誌面でレイカーズの情報がたくさん読めたので、私は自然とレイカーズファンになった。マイケル・ジョーダンがデビューしても、カリームのほかにアーヴィン“マジック”ジョンソンらが加わったレイカーズの輝きはそれ以上にまぶしく、社会人になってからも、現職に就くまではレイカーズファンだった。

 

 不思議なことに、ジョーダンに見向きもしなかったその感覚は、コービー・ブライアントとレイカーズの関係にも同じように適用されていた。レイカーズファンだったからこそなのか、1996年にコービーがデビューしても、私には彼に対する以上にそれまでレイカーズを支えてきたプレーヤーたちへの思い入れが根付いていた。特に1991-92シーズンの開幕直後、マジックがHIV感染により引退するというショッキングな出来事を経た後、そこからコービーとシャキール・オニールを獲得した1996年までの5年間を支えたプレーヤーたちには胸を熱くさせられた。

 

 例えば、マジック・ジョンソンに代わってプレイメイカーとして活躍したセデル・スリートというプレーヤーが好きだった。1991-92レギュラーシーズン最終日、プレイオフ進出をかけた対ロサンジェルス・クリッパーズ戦の延長終了間際に、スリートがミドルジャンパーを決めた時には思わず絶叫した。ニック・ヴァン・エクセル、エディー・ジョーンズ、セドリック・セバロス、エルデン・キャンベル、ヴラデ・ディバッツ…ほかにも期待を寄せたプレーヤーたちがいたが、それに反してレイカーズは低迷期を迎えていた。

 

 そこにコービーが登場した。

 

 突如現れたスターに当然イヤな思いなど持つはずはない(ディバッツ放出というネガティブを除けば…)が、気持ちとしてはジョーンズやセバロスが勝つところを見てみたいという感じだった。同じシューティングガードならジョーンズの方が好きだったというのが正直なところ。しかもデビューシーズンの幕切れとなった例の対ユタ・ジャズ戦(ウェスト準決勝第5戦でのエアボール4発)を見れば、コービーは大丈夫だろうか…と心配にもなるというものだ。

 

 シャック&コービーの破壊力は明らかで、1999年のオフにフィル・ジャクソンが指揮官に就任してからの3連覇で実力は証明されたはずだった。それでも、どこかのプロ野球チームのように戦力を“そろえ過ぎた”レイカーズのありようが、コービーへの思い入れを深める邪魔をした。

 

 その感覚に変化が出てきたのは2003-04シーズンを終えてからだ。デトロイト・ピストンズにファイナルで敗れ王座を逃した後、レイカーズは一気にチームとして崩壊。ここから本当の意味で、コービーがどれだけのものかが感じられるようになった気がする。子どもにコービーのジャージーを買ったのもこの頃だった。チームリーダーとしてもがきながらも、コービーの爆発力はさらにレベルを上げていく。

 

 にもかかわらず低迷するチーム状況の中、トレードでどこかに出て行ってしまうんじゃなかろうか…と思った2007年、今度はレイカーズのチームとしての強さを感じることになった。オーナーのジェリー・バスが自らコービー説得に乗り出し、2007-08シーズン中にパウ・ガソルという技巧派のビッグマンを獲得してファイナル進出を果たしたからだ。シャックのような強烈なパワーはないが、パウにはサイズも技能も賢さもある。彼とコービーを核として王座を狙うというのが、それまでにない見応えをレイカーズのバスケットボールに生み出した。

 

 その後のコービーとレイカーズのストーリーは、この文章を読んでくれた方ならば誰もが知っているだろう。その過程でコービーを嫌いになる理由はなかった。アキレス腱を断裂した試合、驚異の60得点を記録した引退試合など、何度心を揺さぶられたかわからない。

 

 個人的に残念なのは、何度かあった取材機会で一度も、自分からの質問に直接答えてもらうことができなかったことだ。囲み取材で僅か1メートル先にいるコービーに質問しようとしたことは何度もあった。しかし、全てが他の記者からの質問で打ち消され、彼に届かなかった。会見でも何度も手を挙げたが、指名を受けることはなかった。待望の独占インタビュー実現…ということも起こらなかった。

 

 素直なファンではなかったバチが、こういう形で飛んできたのだと納得するほかない。それだけに今は、心から冥福をお祈りしたい。

 

 

コービー追悼特設ページ『Dear Kobe Bryant』

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(月刊バスケットボール)


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