月バスTOPICS

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2020/11/06

最新『月バス』12月号では北陸学院高(石川)を率いる濱屋史篤コーチのフィロソフィーを紹介!

 10月24日発売の月刊バスケットボール12月号では、指導者インタビューの第39弾として、北陸学院高(石川)を率いる濱屋 史篤コーチが登場!

 

 2013年、北陸学院高に男子バスケットボール部を創部し、創部4年目に当時28歳にしてチームを全国3位に導いた濱屋コーチ。順風満帆に見える道のりの裏には、多くの苦難と努力の日々があった。「コーチと選手が一緒に作り上げていくのがチーム」と語る、濱屋コーチのフィロソフィーとは――。(下記に一部抜粋)

 

 

今に生きる現役時代の経験と

1期生と乗り越えた創部の苦労

(中略)

――地元の石川県を離れて愛知学泉大に進んだのはなぜですか?

 高校バスケが悔しい結果に終わり、大学でもう一度バスケットを頑張りたいと思ったのですが、選手としては大学で終わりだろうなと。それで大学卒業後もバスケットに関わるために『教員になって指導者を目指そう』と考えるようになりました。どうせなら大学もバスケットを学べるチームがいいなと思っていたとき、ユニバーシアードや李相伯盃でコーチをされていた山本明先生(現JBA技術委員会副委員長兼ユース育成部会長)の存在を知って。実際に練習を見て雰囲気もすごく良かったので、入学を決めました。

 

――愛知学泉大といえば、ディフェンスをひたむきに頑張る印象があります。

 そうですね。とにかく運動量がとんでもないチームでした。当時から東海地区には留学生を擁する大学があったので、日本人だけの僕らは高さに対抗するために徹底して平面バスケットを磨いていました。練習は厳しかったですし、先輩方も山本先生もバスケットに対する向き合い方が尋常ではなかったです。良い意味でバスケットが生活そのものという感じで、本気でバスケットと向き合ったあの4年間が自分の今の指導にもすごく生きています。

 

――その後は地元に戻って高校教諭となりました。

 地元に戻り、別の高校で1年間教員をやった後、ご縁があって北陸学院に赴任しました。北陸学院はもともと女子校で、2005年から共学になったのですが、男子生徒の人数がまだ少なく、当時は男バスも存在しなくて。でも当時の校長から打診され、赴任して2年目の2013年に創部することになりました。

 

――創部にあたって苦労も多かったと思いますが。

 幸い1年目から選手がたくさん来てくれたことはうれしかったのですが、特に1年目はかなり大変でした。高校1年生と監督の私だけ、という環境がお互いに苦しかったと思います。本来であれば1年生って、まだできなくても先輩たちにいろいろ教えてもらい、監督に叱られても「気にするなよ」って先輩たちにフォローされる学年ですよね。でも1期生の場合、それができなかったですし、しかも酒井達晶(メイン州セントジョセフ大)や大倉龍之介(富士通)は中学時代に結果を残していた分、本人たちも『すぐに結果を出さなければ』というプレッシャーを感じていました。ただ、そんな1期生の苦労があったからこそ、大倉颯太(東海大)たちの代が入学してきて初めて3学年がそろったとき、『本当にいい雰囲気になったな』と感じました。今の北陸学院があるのは1期生の貢献が大きいです。

 

――創部2年目で、ウインターカップ初出場となりました。

 夏に決勝で負けた分、冬は気持ちを一つにして全国への切符をつかむことができました。そのウインターカップでは1回戦の相手が山形南さんで、僕らは全国初勝利を目指して相当スカウティングしていたんです。でもいざ試合になったら、相手は一枚も二枚も上手でした。『全国で勝つのは簡単なことではないな』と感じましたし、『準備してきたつもりでも、この程度の準備では足りないんだ』と痛感しました。そのことに2年目で気付けたのは本当に良かったと思います。その経験が生きて翌年の夏に全国初勝利、冬にベスト16、さらにその翌年の夏にベスト8、冬に3位と、全国に出るたびに階段を上っていくことができました。

 

※続きは『月刊バスケットボール12月号』へ!

 

 

(月刊バスケットボール)


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