月バスTOPICS

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2019/09/18

【好評連載中!】今週の1枚 ~月刊バスケットボール編集部が過去に掲載してきた写真の中から1枚を厳選。当時の出来事や選手たちの活躍ぶりを振り返る(7)~

 

 このコーナーでは、今まで月バスが掲載してきた写真の中から、編集部が独自の感覚で1枚をピックアップ。その当時の出来事や、選手たちの活躍ぶりを振り返ります。

 

 今週はこの1枚を紹介!

 

 J・フリーマンの世界               

(1977年7月号より)

 

 

 

 日本で初の外国人選手として、松下電器(現パナソニック社)に入社したジェローム・フリーマン。彼はどんな選手だったのか、そして日本にどのような影響を与えたのかを1977年の記事をもとに振り返っていく。

 

 初めての“外人さん”プレーヤー

 

 フリーマン(以下、フック)は、1949年(昭和24年)12月26日アメリカのシカゴに生まれた。2人の兄と3人の弟、2人の妹を持つ8人兄弟の3番目。お父さんのクレントンさんは町の牧師さんで、お母さんのトォエリーさんはお料理が上手なやさしい女性。フックはこんなすばらしい両親とたくさんの兄弟たちに囲まれて、伸び伸びと育った。

 

 バスケットボールを始めたのは8歳のとき。といっても、これはアメリカのどんな町にも見られる通りに設置されているバスケットリングの下で近所の仲間たちと“バスケットごっこ”をして遊ぶものであり、正式にコーチについてバスケットを始めたのは13歳のときだった。

 

 朝日が昇ると同時くらいに飛び起きてボールを持って練習場に出かけ、帰ってくるのはいつも夜といった具合で、一日の練習時間は12時~18時間。起きているときは、いつもバスケットボールを握っていた。そのときからフックの一番の友だちはバスケットボールであり、それはもう彼の体の一部分であった。

 

 日本リーグで日本各地を転戦したとき、彼のプレーに送ってくれる観客たちの拍手は、通じない言葉を超えて、彼の心にあたたかく響いた。

 自分はバスケットの本場のアメリカからやってきた初めての“外人さん”だという誇りと、バスケットでは誰にも負けないという自信が、コートの中のフックを一回り大きく見せた。そんなフックが、松下の戦力にならないはずがない。彼が来日した年(昭和49年)の日本リーグでは惜しいところで取りこぼしがあり2位になったものの、50年度、51年度の日本リーグでは見事連続優勝、51年度にはオールジャパンまでも制した。彼自身、49年度日本リーグでいきなり敢闘賞とベスト5を受賞し、50年度、51年度と日本リーグでは3年連続のベスト5とともになんと2年連続の最優秀選手賞の栄誉に輝いたのである。

 

「最優秀選手賞は、松下電器、J・フリーマン!」

 

 司会者が呼びあげたその声に会場は一瞬ドォッとどよめき、次の瞬間かつてないほどの拍手が湧き起こった。その拍手の中で、MVPのトロフィーをかかえながら、フックはもうこの日本で、アメリカからきた“異分子”ではないことを強くはっきりと感じたのだった。

 

 来週もお楽しみに!

 

(月刊バスケットボール)

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