月刊バスケットボール6月号

【最新・月刊バスケットボール7月号】“籠球群像”に栃木ブレックスの山崎稜が登場!!

 第14弾の籠球群像では栃木ブレックスの山崎稜のキャリアに迫る!!

さいたまスーパアリーナで開催された『スーパードリームゲーム2000』を見たことがきっかけでバスケットボールを開始。

 第14弾の籠球群像では栃木ブレックスの山崎稜のキャリアに迫る!!

さいたまスーパアリーナで開催された『スーパードリームゲーム2000』を見たことがきっかけでバスケットボールを開始。

 

「シュートにハマりました。子どもはみんなシュートを打ちたがりますし、僕もその一人だったと思います。シュートをたくさん打って喜んでいましたね」と懐かしげに当時を振り返った山崎だったが、小中は全くの無名。

 

 転機は埼玉の強豪、昌平高への進学だった。「近所のクラブチームの指導者が昌平高の畔川(秀雄)コーチと知り合いで、一度練習に行くことになりました。そこで声をかけてもらいました」と山崎。徐々に開花した才能は高校3年のウインターカップでも存分に披露され、ケガ明けの「ぶっつけ本番」ながらベンチから21得点を挙げ、当時1年生の渡邊雄太(メンフィス・グリズリーズ)が所属していた尽誠学園高に食らい付いた。

 

WCでは渡邊雄太(左)とも対戦

 

 その名を知られるようになった山崎のもとに畔川コーチが渡したものこそ、『スラムダンク奨学金』のパンフレット。「どうせ受からないだろうなとダメ元で受けたんですが、受かりました」と本人も驚きを隠せなかった様子。

 

 渡米後は言語の問題に苦戦しながらもアメリカでの生活に慣れ、試合でも活躍。「コーチが僕のシュート力を買ってくれて、シューターとしてコートに立っていました。あとはディフェンスを頑張ってこい、と。3&Dのような役割でした」と当時を振り返る。

その後、タコマ・コミュニティーカレッジを経てbjリーグでプロとなり、現在に至る。

 

 山崎がたどってきたバスケ道の全てが詰まった『籠球群像』は何と今号からカラー連載に!!

最新号をお楽しみに!!

 

月刊バスケットボール



PICK UP