月刊バスケットボール5月号

今週の逸足(CLASSIC KICKS)Vol.12-2

  UNDER ARMOUR ANATOMIX SPAWN アンダーアーマー アナトミクススポウン   文=岸田 林   (つづき) 加えてナイキの資料には数か所、消し忘れたと思われるデュラントの名前が残っていたという。どうやら彼らが見せた資料は、デュラント用の使い回しだったようだ。デルはポーカーフェイスを保ったものの、息子ステフィンがナイキアスリートの中で、コービー・ブライアント(元レイカーズ)、レブロン・ジェームズ(キャバリアーズ)といった選手より低く位置付けられていることを悟った。この場に最高幹部が同席していないことからも、再びナイキと契約しても息子のシグニチャーモデルはリリースされないだろうということも察しがついた。交渉後、デルは息子に「新しいことにチャレンジすることを恐れるな」とアドバイスしたという。 その後のことは、カリー自身がインタビューで語っている。シューズ契約を決める数週間前、いくつかのサンプルを前にカリーは、ふと当時1歳だった娘のライリーちゃんに「どれが好き?」と尋ねたそうだ。ナイキ、アディダスを放り投げた後、ライリーちゃんが父親に手渡したのは、アンダーアーマーの「アナトミクススポウン」だったという。   アンダーアーマーからのオファーは年間400万ドル弱(推定)。ナイキ契約選手の中では決して高額とは言えず、ナイキはマッチ(同額の契約を申し出ること)する権利があった。だが彼らが再び交渉のテーブルに着くことはなかった。こうしてカリーはナイキを離れ、アンダーアーマーに加わることを決断した。   翌13-14シーズン、カリーはプレシーズンから「アナトミクススポウン」を着用。ナイキのスウッシュを見慣れていたファンには、解剖学に着想を得たという斬新なデザインと奇抜なカラーリングで強烈なインパクトを放ったこのモデルは“異形”にも見えたようだ。だが当のカリーはこのシーズン、チームの主力として躍動し、オールスターにも初選出。アンダーアーマーはオールスターに合わせて同モデルの新色を公開し、カリーを全面に打ち出したキャンペーンを展開。これは明らかに1984年、ナイキが初代エア ジョーダン(AJ)発売時にとった戦略をなぞったものだった。   確かにその後、カリーはバスケットそのものを変え、アンダーアーマーはバッシュ市場の風景を大きく変えた。だがここ数年成功してきた戦略は、現在、曲がり角を迎えているのかもしれない。カリーとアンダーアーマーの契約は24年まで締結済みだが、アンダーアーマーの浮沈は、まもなく発売されるとみられる「CURRY 4」にかかっている。振り返ればAJシリーズも、2~4作目までは常に打ち切りの危機に瀕しており、ナイキも現在のような大企業ではなかった。その点から見ると、“#SneakerWarsに決着を付けるのは、まだまだ早いと言えるだろう。 (おわり)   写真=中川 和泉 (月刊バスケットボール) ※月刊バスケットボール2018年1月号掲載

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