月刊バスケットボール5月号

27シーズンのキャリアに終止符 折茂武彦“選手”へのラストインタビュー!

 4月25日発売発売の『月刊バスケットボール6月号』では、今季限りでも現役引退を表明している折茂武彦(北海道)へのロングインタビューをお届けする。新型コロナウイルスの影響で無念のシーズン中止となったBリーグ。レジェンドの花道としては決してふさわしくない結末だったが、折茂の過ごした27年間はこれからも私たちの記憶に残り続ける。

 

インタビュー時に過去の月バスを持っていくと、笑みがこぼれた

 

埼玉栄高のエースとして活躍し、インターハイでは『感動くん』に選ばれている

 

 ここではインタビューの中から一部を抜粋してお届けしていく。

 

まずは現役生活お疲れ様でした。27年間のキャリアを今振り返って、ここで引退という決断に悔いはありませんか?

 ありがとうございます。キャリアを振り返ると悔いだらけですよ(笑)。一つの悔いもなく晴れ晴れと去っていくというのはなかなか難しい。「悔いなく去ることはできないんだろうな」と思っていましたが、そのとおりでした。

 

佐古賢一さん(現男子日本代表AC)や北卓也さん(現川崎GM)、後藤正規さん(現浜松開誠館高男子部コーチ)ら手強いライバルがたくさんいましたね。

 僕にとっては非常に大きかったですね。佐古とはプライベートでもかなり仲良くしていましたし、当時の僕がバスケットについて本当に真剣に相談できるのは彼くらいだったと思います。日本代表でもずっと同じ部屋だったので、ライバルでもあり、一緒に戦ってきた仲間でもあります。選手としての僕のことを、彼は一番理解してくれていたんじゃないかと思いますね。

 それに自分と同じポジションに北や後藤がいたことで、常にライバル意識を持って戦えたので、ものすごく刺激的な日々でした。何となくですが、彼らは自分が倒さなければ誰も倒せないと思っていたので。そんなこともあって北と後藤には異常なまでのライバル心を燃やしていたと思います。常にあの二人は自分を本気にさせてくれる存在でした。

 

トップリーグで27年もの間、第一線を走り続けてきました。普段はどのような練習を心掛けてきましたか?

 やっぱり考えなきゃダメですよね。自分がどうすればこの世界で生きていけるのか、どうすれば点を取れるのか、どうすればより簡単に、よりスムーズに攻められるのかを常に考えて実行してきたと思います。だから僕はこの27年間、同じことしかやってないし、余計なこともやっていません。いらない部分をそぎ落として常に考え続けたことが、ここまでできた秘訣だと思います。逆に身体能力がそこまで高くなかったから良かったのかもしれませんね。そういう意味では誰にでも長いキャリアを送れる可能性があると思います。

 

2007年に36歳でレラカムイ北海道へ移籍しました。北海道でのデビュー戦を振り返ってください。

 衝撃的でしたね。日本リーグのファイナルでしか経験したことのないような人数のファンが会場にいたんですからね。当時は特定のホームアリーナもなかったので「これがプロチームなのか、 これがホームアリーナなのか」と。すごく衝撃を受けました。

 街中でのビラ配りなどもしていましたし、当時はそれも新鮮な経験でした。プロチームの仕組みが分かっていなかったので、最初は何のためにそれをしているのかが分かりませんでした。でも、自分が街中でファンに声をかけられるようになって、何となくその意味が理解できるようになりました。

 北海道での最初のシーズンはリーグ最下位だったのにもかかわらず、たくさん声をかけられるんです。「頑張ってね」「北海道に来てくれてありがとう」「ケガしないようにね」 とか。それに北海道のメディアの方々は僕らを野球やサッカーと同じような感覚で取り上げてくれる。それがすごくうれしかった。プロ選手になっていなければ、この感覚は味わえなかっただろうし、この北海道という土地が自分の価値をさらに上げてくれたと感じています。

 

折茂選手の27年間のキャリアをご自身で評価するならば、どのような評価を与えたいですか?

 その時々に精一杯やってきたつもりではいるので、よくやったなと。合格点はあげてもいいとは思いますけど、それが満点かと言ったらそうではありません。悔いもたくさんありますよ。でも、それを挙げ始めたらキリがないんです。これが僕のバスケット人生であり、これが僕のスタイルであると納得する他にない。いっぱい後悔が残るものの、精一杯やってきたのかなと思いますね。

 

引退後は2011年に自ら設立したレバンガ北海道の社長業に専念していくかと思います。レバンガの未来をどのように思い描いていますか?

 僕の責任はこのクラブが何十年も先まで続いていくこと、続けられる状況にしていくことです。地域の子どもたちも含めて「レバンガ北海道に入りたい」という夢を持たせられるようなクラブ、チームを作っていかなければならない。いずれは僕がクラブを去るときが来るわけで、社長の座も次につなげていかなければなりません。

 今後、レバンガがどんな形になったとしても思いを強く持ったクラブにしていきたいですね。今はこのレバンガでできる限りのことをやっていきたいと考えています。

 

 全文は『月刊バスケットボール6月号』をお楽しみに!

 

 

 写真:大川原敬明

 

(月刊バスケットボール)



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