月刊バスケットボール5月号

福井美恵子の輝き - 1977年6月25日、福岡市民体育館にて

 1976年のモントリオールオリンピックで、あと一歩のところでメダル獲得に届かなかったバスケットボール女子日本代表は、翌1977年夏、同大会で圧倒的な強さを見せて金メダルを獲得したソビエト社会主義連邦共和国(ロシアほか15ヵ国で構成された共和国で、1991年に崩壊)の代表チームを招待して、全国を縦断するエキジビション・ツアーを行った。

 


(月刊バスケットボール1977年9月号より)


1977年6月25日、福岡市民体育館で行われた同ツアー第4戦。当時日本代表のセンターを務めていた福井美恵子は、超大型センターのウリヤーナ・セミョーノワとマッチアップするという大きなチャレンジに対峙していた。福井の身長は184cm。セミョーノワは213cmあった。

 

 ほとんど3Pラインに近いあたりのトップ付近の位置(当時は3Pショットのルールはない)から、セミョーノワがショットを放つ。福井は懸命にブロックショットに飛んだ(写真)。このブロックショットの成否は残念ながらボックススコアなど確認することはできない。しかし、セミョーノワの手から放たれたボールめがけてまっすぐに伸ばされた福井の指先、爪の先が、確かにその軌道を捉えているように見える。

 

 福井は1970年代後半に、ユニチカ山崎の一員として日本リーグ(現在のWリーグの前身)で活躍したプレーヤーだ。日本代表としても、モントリオールオリンピックに出場したほか、ワールドカップ(当時の呼称は世界選手権)には1975年、79年と2度出場している。75年には、日本のバスケットボール界では世界大会で初となる、銀メダル獲得を成し遂げたメンバーの一人となった。

 

 1980年、その人生に突如として幕が下ろされる。心不全だったという。まだ23歳の若さだった。

 

 今から44年前の輝かしい勇姿。この瞬間、「何とかしてこの一本を止めてやろう」という福井の決意が、今も強烈に伝わってくる。

 

福井美恵子(1956-1980)

 

文/柴田 健(月バス.com)
(月刊バスケットボール)



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