月刊バスケットボール5月号

“ス―パースター漫画ヒストリーvol.14”リーグ屈指のスナイパー、ケビン・デュラント(ブルックリン・ネッツ)

Illustration/kira_mine

 

 8月25日発売の最新号、『月刊バスケットボール10月号』のス―パースター漫画ヒストリー”第14弾はリーグ屈指のスナイパー、ケビン・デュラントを紹介していく。

 

 今やリーグ最強のスコアラーの呼び名もあるスコアラーはアキレス腱断裂のリハビリに専念するため、今季は全休し新シーズンへの備えを進めている。そんなデュラントだが、今日の地位を確立するまでには様々な苦労があった。幼少期には母と祖母に育てられ、決して裕福とは言えない環境でバスケットに打ち込んでいった。

 

 高校ではオークヒルアカデミー高とモントロスクリスチャン高を行き来し、最終的には後者で大きくその名を轟かせることとなるが、ここである日本人選手とのエピソードがある。その選手の名は伊藤大司(滋賀)。日本のメディアでも度々取り上げられている2人の関係だが、当時デュラントは高校から近かった伊藤の家で寝食を共にするほどの仲で、練習に取り組む姿勢については伊藤から学んだ部分もあるそうだ。

 

 その後はテキサス大へ進学し、怪物ルーキーとして大活躍。NBAドラフトでは全体2位でシアトル・スーパーソニックスに指名された。デュラントが入団した2007年のソニックスは長年主力として活躍してきたレイ・アレンやラシャード・ルイスを手放し、デュラント中心に舵切りを行ったばかり。入団後最初の2年こそドアマットチームに低迷(09年からはオクラホマシティ・サンダーにフランチャイズ、チーム名が変更)したが、ラッセル・ウェストブルック、ジェームズ・ハーデン(共に現ロケッツ)、サージ・イバカ(現ラプターズ)という後のコアメンバーを次々に獲得し、10年にはサンダーとして初のプレーオフ進出。ディラント自身も史上最年少で得点王を獲得し、12年にはNBAファイナルまで勝ち上がるなど順調なキャリアを送った。

 

 

 しかし、そこからはなかなかファイナルに手が届かず、デュラント個人としてもドラフト2位、MVP投票2位、NBAファイナル敗退(準優勝)とレブロン・ジェームズ(現レイカーズ)に次ぐ“NBAで2番目の選手”という印象から脱却できず。14年に感動的なスピーチと共にシーズンMVPを受賞し、そのレッテルこそ剥がしたが、サンダーで優勝することはできなかった。

 

 そんな中16年オフ、デュラントの決断はNBAを震撼させた。彼が移籍先に選んだのは前季にシーズン73勝9敗というNBA史上最高勝率を記録したウォリアーズ。歴代最強のチームに歴代屈指の全盛期のスコアラーが加入したこと、ウォリアーズがサンダーが前季カンファレンス・ファイナルで敗れたライバルチームであったことから、これまで優等生とみられていたデュラントは一転してNBA一の嫌われ者となってしまった。

 

 それでも優勝に飢えるスコアラーは最強ウォリアーズのトップスコアラーとしてチームをけん引。ファイナルではレブロン率いるキャバリアーズを2年連続で圧倒。特に18年にはスウィープで連覇を飾ると、個人としても2年連続でファイナルMVPを獲得。昨季はチームケミストリーの問題、自身のけがの影響で3連覇を逃したが、デュラントが在籍した3シーズンのウォリアーズは史上最強チームの一つとしてこれからも記憶されるはずだ。

 

 今回はネッツで心機一転のシーズンに備えるデュラントのストーリーを紹介する!

 最新号をお楽しみに!

 

(月刊バスケットボール)



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