月刊バスケットボール6月号

【TOKYO2020/3x3日本代表】トーステン・ロイブル ディレクターコーチインタビュー presented by 日本郵政【気持ちを届ける、想いを託す】

 

「明らかに種目の印象が変わったと感じられました」

 

まったく縁のなかった3x3の世界に乗り出したトーステン・ロイブル。3x3日本代表のディレクターコーチとして最大の功績は、異なるカルチャーを背負った若者たちを一つのバスケットボール・ファミリーとしてまとめるという大きな仕事を成し遂げたことと言えそうだ。

 

 

――日本代表ディレクターコーチに就任した当初、普及・強化両面でどのようなモティベーションを持っていましたか?

 

「何事も『成功するには居心地のよいところで満足していてはいけない』というのを信条にしている私に、3x3というまったく新しい世界での挑戦の機会が巡ってきました。バスケットボール界における東京2020オリンピックでの成功という使命を帯びたパイオニアになることも意味する大きな挑戦で、5人制のユース育成にかかわっていた中での方向転換でもあり、大いに意欲をそそられました」

 

――ご苦労も多かったでしょうね。

 

「バスケットボールの基本については同じで、しかも私が基本を教えるコーチだったので、その点では何ら苦労はありませんでした。ただし、成し遂げようとしていることが大きかったですし、かかわる人々の思いを汲むことも非常に難しかったですね。それまで私は3x3の世界の功労者たちとかかわりを持っていなかったので、関係作りから始める必要がありましたから」

 

――2019年11月の時点で候補が10人に絞られ、その中で3x3に専念していたプレーヤーは小松昌弘選手一人だけでした。落選した3x3スペシャリストたちの思いを、どんな形で前向きな力につなげたのですか?

 

「私は日本でもドイツでも、長らくナショナルチームやプロチームで選考にかかわってきました。トライアウトを開催し、プレーヤーを選ぶわけです。

 

 でも実は、このプロセスがきらいで、特にその感覚は日本に来てから強くなりました。なぜかというと、日本にぐうたらなプレーヤーは一人もいないからです。どのプレーヤーも意欲に満ちた頑張り屋ばかりで、素晴らしい人材が集まってくるのに、本当に最高の一握り以外、誰かが去らなければなりません。

 

 そういったプレーヤーたちばかりだからこそ、皆がこのプロセスを理解もしてくれるのですが、私たちがBリーグの、中でも支配力の強いプレーヤーたちを招集すると、経験値では勝る3x3のベテランたちが、バスケットボール自体に関する総合力で上回られるケースが出てきました。その中から私は、最も可能性を感じられるプレーヤーを東京2020オリンピックに送り込む責任を背負っていました。

 

 私は常々出自を気にしないことにしています。どこから来たかはパフォーマンスに関係がありません。有名でも無名でも、大事なのはどんなプレーを見せてくれるか。だから3x3の代表選考にも中立の立場を心がけて臨みました。Bリーガーか3x3スペシャリストか。そんなことは気にしません。だからこそ小松選手は選考の最後まで生き残っていたんです。非常に良いプレーを続けていたんですよね。

 

 Bリーガーをカットして彼や齊藤洋介を残した理由を聞かれたことが何度もありましたが、コート上での出来が素晴らしかったからです。彼らにはチャンスがありましたね。最後の4人と大差があったかと聞かれれば、そんなことはまったくありません。最後まで非常に難しい選考でした」

 

 

――異なるカテゴリーで生きるプレーヤーたちのバスケットボール・ファミリーとしての絆を強めるという意味合いで、非常に貴重なプロセスだったのではないですか?

 

「ドイツの例を思い起こしてみると、とても先進的なプロセスだったと思います。ドイツでは女子の3x3チームが頑張っていて、WNBAプレーヤーも参戦して実績を残しているのですが、世間的な評判としては、伝統的な5人制バスケットボールよりも一つ下に見られてしまう風潮があるんです。良い印象を持たれておらず、業界が二分されていると感じる状況にあります。

 

 しかし日本では一体化が進みました。私にとっては、東京2020オリンピックに強力なチームを送り込むことがもちろん大きな使命だったのですが、その前にやらなければならない仕事として、この種目に人々が良い印象を持ってくれるようにすることがありました。正直、当初は広く受け入れられてはいなかったと思っています。最初に3x3にかかわることを決めたとき、知り合いの学校の先生方からこぞって驚かれましたから。『えっ! 3x3にかかわるの? 大変だぞ…!!』というんです(笑)

 

 長谷川 誠さんや大神雄子さんがコーチングスタッフに入ってくれて、男女とも5人制の有力プレーヤーが参戦してきたことで、この種目はそれまで目を向けてこなかった人々に対しても開かれたものとなりました。実際に日本代表がプレーする姿を見て、今ではだれもが3x3を愛するようになっていると思います。

 

 あの頃『おいおい、なんで…!』と言っていたのと同じ人たちが、今では『3x3ってすごいね!』と言ってくれるようになりました。『うちの学校でやりたい』と言ってくる教員がいるほどです。明らかに種目の印象が変わったと感じられますよ。改革だったんだと思います。3x3は若年層のプレーヤーたちがスキルを磨くのに適した素材だとはかねがね思っていましたが、今後はそれ以上の価値が出てくるでしょう。日本は世界にとどろく強豪になれると思うし、それを示した東京2020オリンピックは、ゴールではなく明るい未来の始まりだと感じました」

 

――3x3で日本は成功できる! という感覚を覚えたのはいつ頃のことでしたか?

 

「女子に関していうと、FIBA女子U23 ワールドカップ2019で金メダルを獲得したときがそうした感覚を持った瞬間の一つでした。FIBAの世界大会で初めての金メダル。バスケットボール界にとって非常に大きな出来事でした。日本が世界の頂点に立ったのですから。それまでも良い成績はたびたび残していましたが、あの大会では世界一です。プレーヤーたちが誰よりも驚くような喜び方をしていましたね。祝勝会で(馬瓜)ステファニーが私のところに近寄ってきて『コーチ、私たち日本一じゃないんですよね! 世界一なんですよね!!』と大喜びで話しかけてくれて、『そうだとも、ステファニー。君は世界チャンピオンだ!!』と答えたのを覚えています。

 

 あの勝利で特に女子のプレーヤーたちは、いっそうどん欲に取り組むようになったと思います。3x3で、私たちはデキるんだという自信もついたことでしょう。

 

©fiba.basketball

 

 男子に関してはもう少し後で、本番を前に落合知也たちとクロアチアに遠征(2021年5月)したのですが、そこで当時世界ランク2位だったリマン(セルビアのクラブ)を倒したんです。あの時もプレーヤーたちが非常に驚いていました。以前はまったく歯が立たなかった相手なのに、突如として自分たちが勝てることに気づいたのです。アイラ・ブラウンも富永啓生もいません。あのとき彼らは、『俺たち、いけるぜ』と思ったはずですよ。もちろん私もです。何しろ相手はオリンピックで金メダルを獲れるレベルですから」

 

――東京2020オリンピックの本番中は、どんな声掛けをして彼らに自信をもたらし、鼓舞されたのでしょうか。

 

「女子に関しては、自信が大きな問題とは思いませんでした。予選会から勝ち上ってきた過程で、彼女たちが自信を深めていたのは間違いありません。自信というものは、自分たちがしっかり準備をしてきたという事実から生まれるものです。準備万端だと理解できていれば、誰に対してでも勝てると信じられます。

 

 男子に関しては、心配なところもありました。なぜならアイラとケイセイを加えたチームとしての経験が不足していたからです。本番直前にセルビア代表と練習試合をしたのですが、そのときアイラは相手のフィジカルさに驚きを隠せない様子でした。“モンスター”のようなセルビアのプレーヤーを相手にして『これは5段階ぐらいレベルが違いますね…』と漏らしていました。やってやるぞという意欲はもちろん持っていましたが、勝てる自信を持つまでには至っていなかったと思います。

 

 彼らとはいろいろ話しましたが、多くが『我々はやるべきことをやってきた』ということの確認でした。

 

 東京2020オリンピックに出場する8チーム中、6チームはヨーロッパ勢。彼らは毎週末に一緒にプレーしてきたチームで、例えば最終的に金メダルを獲得したラトビア代表は、6年間毎週同じメンバーでプレーしてきていました。我々がゼロなのに対して、彼らは…わからないけど500試合以上? もっとかもしれませんね(笑) その点で海外のチームに大きなアドバンテージがあることは否定できません。

 

 でも、そこだけだと話しました。スキルに関しては我々の方が上だと。そこは最高レベルだと胸を張れました。味の素ナショナルトレーニングセンターで合宿をしましたが、本当に厳しい練習だったんですよ。本番は非常に蒸し暑くなりますから、その準備をしようということになり、気温37度、湿度70度の環境で90分間バイクトレーニングをやりました。最後に残った4人だけではなく、その時点で候補に残っていた全員が取り組みました。

 

 『あんなことはどこもやっていないよね。あのつらいトレーニングを乗り越えたんだぞ。ほかのチームが楽しく過ごしていた間に、我々は自分のコンフォートゾーンを飛び出したんだ』ということを確認しました。それに、『ここは我々の母国であり、観客はいないかもしれないけれど我々の国じゃないか』と話しました。

 

 もう一つ素晴らしかったのが、チーム内のケミストリーだったのですが、それが育まれる過程で3x3の世界の功労者たちの存在が本当に大きな意味を持っていました。最終選考の日のことなのですが、我々はあまり一般的ではない方法でそれをプレーヤーたちに告げたのです。一般的には最終選考結果は手紙やコーチからの電話などでその本人だけに伝えられます。でも私は、『我々は家族だから』と伝えて、齊藤にも小松にも小林大祐にも集まってもらい、最終選考発表会を行ったんです。

 

 皆が一堂に会して座り、代表の気持ちを高めるような映像を用意して皆で見た後、一人一人の名前を読み上げ、皆が拍手で祝福する。名前を読み上げた後、私は感謝の気持ちを述べ、その場にいた全員が抱き合って祝福をし、それまでの苦労をねぎらいました。選考から落ちたプレーヤーたちは悔しかったはずです。その場にいてつらかったでしょう。でも『俺たちは家族じゃないか、お互いを助け合っていこう』と話しました。

 

 その後、選考に落ちたプレーヤーたちは、残った4人を助けるために練習につきあってくれました。そうした出来事を経て、『我々のトレーニングは本当につらかったよね。母国で戦うんだよね。家族の一員として、長年この大会に出ようと頑張ってきた3x3の功労者たちの努力と悔しさを、君たちは知っているはずだよね』ということが心から理解され、我々を強くしてくれたと思います」

 

©fiba.basketball

 

――今後パリ2024オリンピックを視野に3x3を日本で発展させていく上で、マネジメント・指導者層が取り組むべき課題は何だと思いますか?

 

「3x3はまだ新しいスポーツなので、運営する側には多くの課題があると思います。もっと多くの人がかかわり、知識や経験のある人材の能力を生かせるようになると、さまざまなことが進んでいくのではないかと思います。

 

 3x3はコーチが試合中に指示を出せませんが、それでもプレーヤーたちは導きを必要としています。特にスキルが非常に大切な種目であり、小柄なプレーヤーがスキルを活かして支配的な活躍をできることを山本麻衣や富永啓生が証明してくれたことを思えば、今後さらに発展させていく上で、5人制のコーチが兼任で教えるのではなく3x3専門の知識を伝えられる指導者の育成が必要です」

 

――節目の大会を終え、今はいったんコーチの座を退いた形となりました。振り返って、この体験はロイブルさんの人生にとってどんな意味合いがあったと思っていますか?

 

「まず、このような機会をいただけたことに対し、JBAにも3x3コミュニティーの方々にも心から感謝しています。オリンピック出場はキャリアにおける画期的な出来事で、本当にありがたい機会でした。また、その過程で日本として初めてFIBAの世界大会における金メダルをもたらすことができたことも本当にうれしいです。5人制でもいろいろなことを成し遂げてきましたが、それらに比べても大きな意味がありますし、3x3で新たな道を切り開くことにつながったという点で、特別な意味合いがあります。

 

 いまだに我々は女子が金メダルを手にする可能性があったし、男子もメダルに手が届く力があったと信じています。本当にどの試合もきわどい勝負ばかりでした。

 

 男子は世界との差を埋めることができました。今や金メダリストが日本代表に勝つには、幸運が必要なんですよ! もしその幸運がこちらに味方していたら、もしあと数試合の準備が加えられていたら、我々が金メダリストになっていたかもしれません。これは負け犬の遠吠えではないと思っていますよ。

 

 このプロセスを経て、我々は一つになることができましたし、頑張ればこの先も楽しみな旅路が待っています。これから携わる人々に向けた道しるべになれたとしたら、とても誇らしいです。ディフェンスを重視する考え方と、日本人の非常に優れている知性を生かすことも、取り入れられたように思います」

 

――これまで3x3を支えてきた人々と、今後応援してくれるだろう人びとにどんなことを伝えたいですか?

 

「ご自分たち自身が生み出した3x3のコミュニティーについて、誇らしく思うべきだと思います。思い入れという点では、5人制にかかわる人々よりも3x3コミュニティーの人々の方が熱いのではないかと思うことも良くありました。私たちは皆さんが作ってくれた土台の上に、少しだけ積み上げることができたように思います。

 

 皆さんが土台を作ってくれていなければ、東京2020オリンピックを盛り上げることなど絶対にできませんでしたし、(女子U23)ワールドカップでの金メダルもあり得ませんでした。プレーする場所があり、プレーする人や大会を運営してくれる人がいたからこそ、始めることができたんです。それを作ってくれたのは3x3を長年支えてきた皆さんに他ならないのですから。東京2020オリンピックの舞台に立ちたかった人がたくさんいることを感じながらやってきました。今では世界で、日本は危険なチームだと言われるようになっています。そうなれたのは、皆さんがいてくれたからなのです」

 

 

トーステン・ロイブル Torsten LOIBL

1972年5月1日(ドイツ出身)。母国でアンダーカテゴリーのコーチを務め、2006年に来日。トヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)のヘッドコーチとして2007年にJBLと天皇杯の2冠を達成し、自身も最優秀コーチ賞を受賞した。その後アンダーカテゴリー日本代表や、バスケットボール界の改革を目的に結成されたタスクフォースでの重責を担い、2018年から3x3日本代表男女のディレクターコーチ兼ヘッドコーチに就任した。現在は任期を満了している。

 

 

(月刊バスケットボール)



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