月刊バスケットボール6月号
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八村 塁
SF/203 cm
ワシントン・ウィザーズ[/caption]

 

[東京2020 男子日本代表の横顔]

自然体かつ大胆不敵な大エース。

「一生懸命を楽しむ」ことで世界最高峰へ

 

 逸材、怪物、日本の宝――。あてがおうとするそんな言葉たちが陳腐に思えるほどに、八村は日本のバスケットボール界にとって規格外であり、特別な存在だ。

 その経歴は華やかである。ベナン人の父と日本人の母を持ち、母・麻紀子さんいわく「保育園の頃からすごく活発で力も強かったと思います。エネルギーがあり余っている感じだったので、何かスポーツをさせた方がいいなと思いました」。

 小学生の頃は野球と陸上に打ち込んでいたが、奥田中でバスケットボール部に入部すると「本気になれるもの、大好きなものを見付けた感じでした」(麻紀子さん)と競技の魅力に取り憑かれ、メキメキと上達していった。中学3年で全国準優勝に輝くと、明成高(現・仙台大明成高)時代には冬の全国大会で3連覇を達成。同時に、高校の3年間では結果を追い求めながらもプレーの幅の拡大に取り組み、相手に応じて技術を使い分けられるオールラウンダーへと成長した。そんな八村が世界からも注目を集めたのは、高校2年生だった2014年。

 17歳以下日本代表として出場したU17世界選手権で、平均22 ・6得点を挙げて大会得点王に輝いたのだ。アメリカ戦でも25得点を挙げた八村はシントン・ウィザーズに加入した。

 その後の活躍は言わずもがな。1年目からスターターの座を射止めてマルチに働き、キャリア2年目となった今季はレギュラーシーズンの57試合に出場。平均13.8得点、5.5リバウンド、1.4アシストと攻防で安定した活躍を見せ、今やウィザーズに欠かせない主軸の一人となった。

 かつて八村は「中学や高校で学んだのは『一生懸命を楽しむ』ということ」と語っていたが、大学やNBAの世界でもそれを継続し、決して進化を止めることがない。また、高校時代の恩師・佐藤久夫コーチが八村についてこう評していたことがある。

 アメリカの大学関係者たちの目に留まり、数々のオファーを受ける中で強豪・ゴンザガ大に進学。そこで英語を一から習得し、競技面でも全米最高峰のレベルに揉まれてさらなる進化を遂げた。八村自ら好んで苦労話を語りたがるタイプではないが、大学時代の恩師、マーク・フューHCの言葉を借りれば「ゴンザガ大に来てからの3年間、ルイは休む間もなく、きっと自由な時間をほとんど過ごしていないと思う」。濃密な大学時代を経て「全米トッププレーヤーの一人」(フューHC)となった八村は、2019年のドラフトで日本人初の1巡目指名(全体9位)を受けてワたい」(八村)と臨んだこの大会。だが現実は厳しく、予選グループの3試合に出場した八村は相手からの徹底マークに苦しみ、チームを勝たせることはできなかった(日本は出場32か国中31位)。

 ただ、悔しい敗戦を味わっても八村の前向きな姿勢は変わらなかった。「(東京2020オリンピックを見据えて)アメリカのような世界1位のチームがどれだけのレベルなのか感じることができて良かったです」と、大会を終えて冷静に口にしたのは未来への収穫。悲観するわけでも現実から目を逸らすわけでもなく、自然体のままで自らの現在地を測り、オリンピックへの道筋を見据えていたのだ。その強い眼差しからは、揺るぎない自信もうかがえた。むしろワールドカップ後、NBAで2シーズンを経験して手応えを得た今の八村の自信は、ますます強固なものとなっているだろう。

 オリンピックは八村にとって思い入れの強い大会だ。東京開催が決まった2013年、八村は高校1年生だったが、当時から「(東京2020オリンピックに)すごく出たい」と話していた。「周りが言うには、僕ら世代がちょうど良い年代だと。その時期に東京でオリンピックがあるというのは、本当に何とも言えない嬉しさがあります。そのときまでに、日本を引っ張れる選手になりたい」とは高校3年時のコメント。

 あれから6年。今では、周囲に惑わされることなく自然体を貫き、大胆不敵な自信を備えた日本の大エースへと成長した。戦う相手はいずれも世界最高峰レベルの強敵ばかりだが、日本の希望は、きっと我々の想像を凌駕するようなプレーで世界に衝撃を与えるはずだ。

(中村麻衣子/月刊バスケットボール)



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