NBA

2019.06.21

日本人初の1巡目指名! 八村塁、夢のNBAの舞台へ

 

 2016年5月13日、成田空港に「ワクワクして仕方ないです」と、期待に胸をふくらませた八村塁がいた。シアトル行きの飛行機に乗って日本を発ったあの日から、1134日。密度の濃い3年間を経て一回りも二回りも成長した八村は、2019年6月21日、ワシントン・ウィザーズに1巡目全体9位指名を受け、日本のバスケットボール界に新たな歴史を作り出した。

 

 

 

“Rui Hachimura!”

名前が呼ばれた瞬間、うつむいていた八村は満面の笑みで顔を上げ、空を指さして立ち上がった。まずは一つ、小さな頃から夢見てきた「NBA選手になる」という目標をかなえた瞬間である。

 

 NBA――それは八村が、バスケットボールを始めた頃から意識してきたことだった。奥田中の坂本コーチは、初心者だった八村に何度も「NBA選手になれ」と言っていたという。ただ、坂本コーチはその意図について、「八村は初心者でしたし、正直、上手ではなかったんです。当たり前ですがボールハンドリングはできないし、最初はフットワークにもついていけませんでした。陸上をやっていたせいか、足が速くても止まれなくて、ボールを持ってもトラベリングばかり。だから最初は『バスケットが嫌いになってしまうのではないか』と心配して、NBAの映像や雑誌を見せて『NBA選手になれ』と言っていたんです」と明かす。そのため、ゴンザガ大でエースとして活躍した八村について、「こんな言い方をしたら彼に失礼かもしれませんが(笑)、まさか本当にこんなふうにアメリカで活躍するとは…」と、信じられない様子だった。

 

 

 奥田中を卒業後、八村は高校、大学と、一足飛びに成長を遂げてきた。とりわけこの6年間で、大きく変わったのは“気持ち”の面だ。高校3年間を終えたとき、「バスケットボールの技術ももちろんですが、佐藤久夫先生というすばらしい先生から“気持ち”の重要さをすごく教えてもらいました」と話していた八村。そして大学でも、ゴンザガ大のマーク・フューヘッドコーチから常々「タイガーになれ!」とアグレッシブさを求められ、八村は「今までいろいろな経験をしてきて、自分の持ち味ややるべきことが大体分かってきたので。それで自分に自信がどんどん付いてきている」と、“自信”を身に付けエースとして活躍。フューHCは「アメリカに来た頃、ルイは子猫のようだったけど、今はタイガーだ!」と、3年間の成長に目を細めていた。

 

 

 いよいよ、日本の至宝・八村がNBAの舞台に足を踏み入れる。日本中が大騒ぎとなっているが、八村はそんな熱狂に決してのぼせず、“NBA選手になる”ことからさらに一歩先、“NBAで活躍する”ことを見据えているだろう。これまでも、常に自らの物差しで冷静に現在地を見定め、目標への道筋を逆算してやるべきことを遂行してきた八村。ドラフト会議について前日、「呼ばれて握手するだけ」と冷静にコメントしていたことも実に彼らしかった。八村が見据える夢への道のりは、まだまだ始まったばかりなのかもしれない。

 

(月刊バスケットボール)



タグ: 月バス 八村塁

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