月刊バスケットボール5月号

今週の逸足(CLASSIC KICKS)Vol.5-1

  Vol.5 ASICS GEL SPOTLYTE アシックス ゲル スポットライト   文=岸田 林   ★NBAのスーパースターが認めたPG仕様の本格派シューズ アシックスといえば、昨今は『オニツカタイガー』としてストリートでも支持を集めているが、今も昔も日本のバスケットボール界を足元から支え続けているブランドである。かつて『オニツカ』という社名だった時代、デイブ・コーウェンス(元セルティックス)などの名選手と契約を結び、本場NBAのコートに名作バッシュ『ファブレ』を送り出しただけでなく、1975、76年にはコーウェンスを含むNBAスター選手を日本に招へいしエキジビションゲームを開催するなど、日本でのNBA普及にも大きな役割を果たしている。   80年代後半、かつてオニツカの販売代理店に過ぎなかったナイキが急成長を遂げるのを目の当たりにしたアシックスは、強い日本経済を背景に、スポーツの本場、米国へのアプローチを再強化。その足掛かりとなったのが、衝撃吸収素材の『αGEL(アルファゲル)』だった。『αGEL』はもともと静岡県の企業が84年に開発した素材だが、アシックスのスポーツ工学研究所は、その驚異的な衝撃吸収力を、スポーツ選手の足を衝撃から守るために活用できないかと研究を開始。86年には『αGEL』を搭載した初のジョギングシューズ『フリークスα』を発表している。ビジブルエアを搭載したナイキの『エアマックス(1987年)』の登場よりも前のことだ。以降アシックスは、バスケをはじめとした他のスポーツ用のシューズにも『αGEL』を採用し、シリアスアスリートたちの支持を集めていく。   『ゲル スポットライト』も、そうした中で開発されたバッシュだった。最大の特徴は、その名の通りαGELによる衝撃吸収性と、日本人のような小柄な選手にも履きこなせる軽さ。アシックスは、その性能をアピールできる選手を探すべく、コーウェンス以来約15年ぶりにNBA選手とのエンドースメント契約を開始する。   そして最初に白羽の矢が立ったのは、当時レイカーズでプレイしていたフォワード、カート・ランビスだった。次いで狙ったのが、鉄壁のディフェンスでNBAを制し、“バッドボーイズ”の異名で恐れられたピストンズのポイントガード、アイザイア・トーマス。当時のトーマスと言えば、押しも押されもせぬスーパースターで、彼はプロ入り直後から長くコンバースと契約していたが、89年にピストンズがNBAを初制覇するとプーマから長期契約のオファーが舞い込み、翌89-90シーズンからはプーマの『パレスガード』を着用してプレイしていた。そうした状況の中、米国アシックスは、グレート・ウエスタン・フォーラム(レイカーズのホームアリーナ)から車で1時間ほどの距離にあるファウンテンバレーのオフィスを拠点にNBA選手との関係を深め、ついにトーマスを口説き落とすことに成功。90年9月、トーマスとの契約を正式に発表するまでに至る。また、同時に若手ホープだったチャールズ・スミス(当時クリッパース)とも契約し、NBAでの存在感を一気に高めた。余談だが、当時米国でアシックスのスポーツプロモーションを担当していたのは、マイケル・ジョーダン(元ブルズほか)の高校時代のライバルと言われ、80年代には日本リーグの熊谷組などでも活躍したハーベスト・リロイ・スミス氏だった。 (つづく)   写真=石塚康隆 (月刊バスケットボール2017年5月号掲載)

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