月刊バスケットボール5月号

今週の逸足(CLASSIC KICKS)Vol.3-1

  Vol.3 NIKE AIR FORCE 1 ナイキ エアフォース 1   文=岸田 林   ★今なお進化を続ける超人気シューズ 1978年、NASAの技術者だった発明家フランク・ルディが、靴底に空気を封入したバッグを埋め込む技術を考案する。当初ルディは、このアイデアをアディダスに持ち込むが、あえなく不採用。次いで話を持ち掛けたのが、新興ブランドのナイキだった。これが後のシューズの履き心地を一変させる「ナイキエア」の誕生のキッカケとなり、1982年、ナイキはエアを搭載した初めてのバッシュ、エア フォース ワン(AFI)を発売することとなる。当時の定価は2万5000円。日本国内の一般的なバッシュの価格が5000円前後だった時代だ。それから35年。現在AFIはストリートに欠かせないスニーカーとして、広く愛され続けている。   現在でこそバスケのイメージも強いが、ナイキはもともとオニツカ(現アシックス)のランニングシューズの輸入販売からスタートした会社。そのナイキが初のバッシュ、『ブレイザー』でバスケ市場に参入したのは1972年。プリンストン大から鳴り物入りでプロ入りしたジェフ・ペトリー(元ブレイザーズほか)がナイキ初のNBA契約選手となった。ナイキはペトリーに対し「契約金(一説には40,000ドル)か、ナイキ株のストックオプションか」をオファーしたが、海のものとも山のものとも知れないナイキを前に、ペトリーは迷わず契約金を選んだという。そんな1970年代後半、コンバース、アディダスがまだ圧倒的な強さを誇っていた当時、ナイキは後発のハンデをカバーするため、NBA選手へ積極的にアプローチ。その結果、1980年頃には、当時のNBA選手のおよそ半数、120名近い選手がナイキからシューズ提供を受けるようになっていた。   そんなときにリリースされたのがAFIだ。過去のバッシュと比較して衝撃吸収性が30%以上アップしたこのモデルは、ナイキにとっても勝負の一足だった。発売にあたっては契約選手の中からごく少数の精鋭を選抜し、エアの履き心地を大統領専用機、エアフォースワンになぞらえた一大キャンペーンを展開する。記念すべき最初の着用選手は6人で、その『オリジナル・シックス』に選ばれたのは、マイケル・トンプソン、カルビン・ナット(共に当時ブレイザーズ)、マイケル・クーパー、ジャマール・ウィルクス(共に当時レイカーズ)、ボビー・ジョーンズ、モーゼス・マローン(共に当時シクサーズ)の面々。なかでもマローンは、高校から直接プロ入り(ABA)し、23歳という最年少記録(当時)でMVPを獲得していたスーパースターだった。その間ローンは1982-83シーズン、主にAFIのローカットでプレイ。レギュラーシーズンとファイナルのMVPをダブル受賞するとともに、念願のチャンピオンリングも獲得している。 (つづく)   写真=中川和泉 (月刊バスケットボール2017年3月号掲載)

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