2021年12月21日 - バスケ生誕130年の記念日
バスケットボールが生まれて130年という節目の年が、あと数日で終わろうとしている。
フットボールとベースボールのシーズンの間となる冬場に、若者たちが元気に楽しめるスポーツとして生まれたバスケットボール。考案したのはアメリカのマサチューセッツ州スプリングフィールドにあった国際YMCAトレーニングスクール(現スプリングフィールドカレッジ)で働くカナダ人の体育教官、ジェームス・ネイスミスだ。
史上初めての試合が行われたのは、今から130年前の1891年12月21日という記録が残されており、近年この日をバスケットボールの誕生日として祝おうというムーブメントも広がりを見せてきた。パンデミックの影響で人が集まるイベントの開催が不可能な状況となった昨年は、各地で恒例になりつつあった「バスケの誕生日」イベントのニュースも聞けなくなった(もちろん情報が届いていないだけで、何らかの行事を行った人はいるかもしれない)が、今年は12月5日に香川県高松市で、『Basketball Birthday Classic 2021』と題して、バスケ好きが集まって実際にフルコートの5対5を楽しむイベントが開催された(これも情報が届いてはいないものの、ほかにも行われている行事があるかもしれないし、これから開催するグループもあるかもしれない)。
高松市でのバスケの誕生日イベントに集まった皆さん
高松では2年ぶりの開催。有志の参加者が50人以上も集まり、オリジナルデザインの「バスケの誕生日記念Tシャツ」も用意して、ミニゲーム・リレーを代わるがわる楽しんだ。途中には車いすバスケットボールの時間帯も作られていた。
ランダムにチームを組み替えながら、次々とミニゲームをリレーしていくのがバスケの誕生日イベントの恒例
リレーゲームには車いすタイムも
史上初の試合と日本人留学生、石川源三郎
史上初のバスケットボールの試合は、前述のとおり国際YMCAトレーニングスクールで、今から130年前の12月21日に行われた。その記録を視覚的に伝える貴重なスケッチを手掛けたのは、石川源三郎という日本人留学生だった。石川はネイスミスと意気投合し、この試合の情報を受けて「ならば私が」と手を貸したのだ。
できるだけたくさんの若者が参加できるようにとの考えで考案されたことから、バスケットボールの最初の試合は1チーム5人ではなく9人ずつで行われた。9人の内訳は、バックコートに貼り付く3人(ガード)、センターライン近辺でボールをつなぐ役割を担う3人(センター)、フロントコートでゴールを狙う3人(フォワード)。
バックコートがガードと呼ばれたのは、相手フォワードの得点を邪魔してゴールをガードするからであり、現在の呼称はその名残だ。センターとフォワードにも同じことが言える。どこかサッカーやラグビーに近いポジショニングだ。ドリブルという考えはなく、ほぼ固定されたポジションに立つ9人の間をでパスをつないでいく。したがってディフェンダーの方が有利な状況となり、最終的にこの試合は1-0というスコアで終わったとされている。
ゴールは桃のかごを体育館の柵に取り付けて用意。バックボードはなく、かごには底がついていたので、ゴールにボールが入るたびに、取り出しにいかなければいけなかった。ボールは、これもできるだけ多くの若者が楽しめるように大きなサイズにしようとの考えから、サッカーボールが使われた。
ゴールが人の身長よりも高い位置に、地面と平行に用意されたことには理由がある。ネイスミスは、寒い冬場に広さに限りのある屋内でも行えるスポーツを考案するにあたって、“剛速球”を投げつけることでは利益にならないような工夫をしたのだ。
アイディアの土台となったのは、「Duck on a rock(石の上のアヒル)」という、当時の子どもたちが行っていた遊び。的当てと鬼ごっこが合わさったようなゲームで、大きめの岩の上に標的として置かれた小石を落とすために、子どもたちが石を投げる。このゲーム自体では、小石は人より高い位置になく、標的としてぶつけて落とすという特質からボール(石)も結構なスピードで投げられることがあったようだ。
しかしゴールが自分よりも高い位置に水平に設置されると、ボールを適切な弧の軌道にのせて上から落下させなければならないため、確かに剛速球を投げても得点につながらない。この“舞台装置”のほか、体力にものをいわせてタックルしたり、ボールを蹴りつけるような行為を禁止することで、体育教官ネイスミスは若者たちが安全に、かつ飽きずに高い意欲をもって楽しめるように導いたのだ。
こうした情報が、スプリングフィールドカレッジのウェブサイトで今でもさまざま検索することができるようになっているのはありがたい(すべて英語)。また、これらの資料の中に前出の石川源三郎という日本人留学生の名があり、実際に最初の試合に立ち会っていたこと自体、バスケットボールと日本の深い縁を感じさせる。
そんな思いも胸に、日本人NBAプレーヤーに縁のあるトロント・ラプターズのニック・ナースHCとワシントン・ウィザーズのウェス・アンセルドJr.HCに、競技の歴史と発展についての感想を聞いてみた。「今年の12月21日がバスケットボールの最初の試合から130周年なので」と伝えて質問すると、それぞれ以下のように思いを語ってくれた。
ニック・ナースHCのコメント
私の場合は、子どもの頃に大好きになったものについて、今この地位でかかわってこらえていること、プレーする夢、コーチする夢を追いかけて、バスケットボールのおかげで世界を見てこられたこと、それが私にもたらしてくれたすべてのものが素晴らしいという思いです。
その対象がこんなに世界的で大人気の競技であることを思うと、どう表現すればよいかわかりません。でも個人的にはいろんなレベルで、数々の国々で経験を積ませてもらいました。正確な数はわかりませんが、30ヵ国か、35ヵ国か、38ヵ国か。アイオワの小さな町からこの競技の背中にかじりついて、これまでの経験を重ねてこられたのは、私には本当にありがたいことです。
ほかに何と言えばよいか、本当にわかりませんが、大好きだということは間違いありません。小さな頃にバスケの虫に刺されちゃったんですね、 それもひどく…。いい虫に刺されたなと思っています(笑)
ウェス・アンセルドJr.HC
バスケットボールは目覚ましい発展を遂げている競技ですね。私がかかわってきた24年間だけでも、3Pショットからスモールボールと呼ばれるプレースタイル、多様なディフェンス、ルール上の細かな変更点などいろいろありました。
コーチの立場として常々すぐそばで生きているので、いつも気になるのは「次は何か?」、「次に大きく変わるのはどんなことか?」ということです。できるだけ早くそれをつかんで、オフェンスであれディフェンスであれ先取りしたいじゃないですか(笑)
そういったものを示してくれるのが、偉大なプレーヤーたちです。それはこの素晴らしい競技の歴史の中で、我々がこれまでも見てきたことだと思います。選りすぐりの優秀なプレーヤーたちが中心となって発展の流れを生み出し、リーグがそれを確立させる舞台となり、周囲の皆がそれを広めてさらに良い形にしていくという繰り返しですね。
日本のバスケットボール界にとって特別だった2021年
NBAの歴代最多3P成功数記録を塗り替えたステフィン・カリーは、アンセルドJr.HCの言うtrendsetterになるだろう。両コーチの下でそれぞれプレーする渡邊雄太と八村 塁も、その取り組みや意識・自信の持ち方という点で、現在の日本におけるtrendsetterと言えるのかもしれない。
NBA本契約を手にした渡邊、日本人プレーヤーとして初めてプレーオフに出場し、活躍した八村。両者の活躍だけにとどまらず、東京2020オリンピック・パラリンピックで史上初の銀メダル獲得を実現した5人制女子日本代表と男子車いす日本代表の大躍進もあった今年は、振り返れば日本のバスケットボール界も盛大に競技生誕130周年を祝うことができたのではないだろうか。
町田瑠唯(富士通レッドウェーブ)は1試合のアシスト数新記録を樹立して同カテゴリーのランキング1位だった。オールスターファイブにも選ばれてすごかったな。いや、チームとしての攻防全体がすごかったよ。男子もいい試合を見せてくれたし、3x3の男女代表の戦いぶりには泣けたよね。香西宏昭は3Pランキングで堂々の1位か。たくましかったな! 女子ももう少しだったよ…。一つ一つの名前やできごとを頭に浮かべていくと、パンデミックで厳しい状況続きだった中でも、「バスケの虫に刺された」人々にとって、この一年が特別な年だったことも感じられそうだ。
2021年12月21日でバスケットボールは130歳。良い一日になりますように!
取材・文/柴田 健(月バス.com)
(月刊バスケットボール)
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