月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2017.11.03

【B.STARS Vol.9-②】宇都直輝(富山グラウジーズ)

抜群の得点嗅覚を持つ司令塔は

人々を魅了するがむしゃらな“負けず嫌い”!

富山グラウジーズ#11/191cm/PG/1991年6月11日生まれ/専修大

 

中部大第一高時代

 

 

予期せず出会ったバスケット

スコアラーとして開花!

 

 1991年6月11日、偶然にも女子日本代表の渡嘉敷来夢(JX-ENEOS#10)と同い年で同じ誕生日に生まれた宇都。「幼稚園の頃は今と別人で、親にも『女の子みたいだった』と言われます。かけっこもドベだし、ご飯を食べるのも一番遅いし、外で遊ばず部屋で遊んでいるようなおとなしい子でした」というが、「なぜか分からないですけど、小学校に入学した瞬間、キャラが変わりました。入学式早々に友達とケンカして先生を困らせるとか、とにかくやんちゃな子どもでしたね」と活発な性格に。また、その頃に「1週間毎日が習いごとで埋まるくらい忙しかった」と、スケートやスキー、空手、水泳、野球などさまざまなスポーツを経験。それが運動能力を伸ばすことにつながり、「小3くらいで『オレ、足速いわ』と気付いた」そうだ。

 

 そんな宇都が、バスケットを始めたのは小学4年生のとき。学校のクラブ活動の入部届けに『サッカー』と書いたところ、バスケット経験者の母親がこっそり『バスケットボール』に書き換えていたことがきっかけとなった。「それがなければ、今頃サッカー選手になって億万長者になっていたかも…(笑)」と宇都はおどけるが、予期せぬ出会いだったとはいえ、気が付けばバスケットボールの虜に。学校のクラブ活動だけでは飽き足らず、小学5年生からは強豪・玉川ミニバスに入り、本格的に競技に打ち込むようになっていく。

 

 そのミニバス時代は、4校ルール(選手の通う小学校が5校以上で編成される場合、全国出場を原則認めない規定)で全国大会には不出場だったが、チームメイトには鈴木友貴(岩手#12)らがおり、愛知県内で優勝を争うほどのハイレベルな環境に身を置くことに。そのため「全然エースとかではありませんでした。小6のときはベストメンバーの5人に入れましたが、その中で一番へたでしたね」と、当時の自分を振り返る。

 

 ただその後、鈴木の誘いもあって明豊中に進学すると、部活とクラブチームの練習を掛け持ちしながら自身の腕を磨いていく。中学3年時に出場した全国大会では、「試合は負けましたが、個人では2試合とも結構点は取れたし(鳥屋野中戦24得点、太平中戦16得点)、『案外、通用するな』と思いました」と、大きな手応えをつかむことができた。

 

 そして中学卒業後は、県内の強豪・中部大第一高へ。そこでの練習は「泣きそうになるくらい厳しかった」というが、だからこそ「走力やメンタルが鍛えられました」と一回り成長することに。その結果、2009年の高校3年時には同級生の張本天傑(名古屋D#8)と共にチームをインターハイ、ウインターカップで全国ベスト16に導く。特にインターハイでは、平均41.3得点、平均アシスト9.0本の活躍で得点王&アシスト王の2冠に輝き、圧倒的な存在感を放つ選手へとなっていった。

 

 さらに、その名を全国に知らしめたのが大学時代だ。地元の愛知県を離れて関東1部の専修大へと入学した宇都は、自身初めて迎える秋のリーグ戦において、無尽蔵の体力と走力、そして恐れを知らぬ鬼気迫るほどのアグレッシブさを発揮。明治大4年の金丸晃輔(三河#14)と得点ランキングで激戦を繰り広げ、最終的に計502点(平均27.9得点)という驚異の数字で、1年生にしてリーグ得点王に輝いたのだ。

 

 当然、翌年はさらにマークが厳しくなったが、宇都はものともせず、2年、3年と3年連続で得点王を受賞。4年のシーズンはケガで欠場した期間があったため逃したが、それがなければ、関東1部リーグで4年連続得点王の称号を獲ってもおかしくなかったと言える。

 

 ただ、“ケガの功名”となったのは、その大学4年時から本格的にポイントガードへとコンバートしたこと。後輩の田代直希(琉球#24)や渡辺竜之佑(琉球#16)らを生かすアシストや声掛けなど、プレーの幅を広げつつリーダーシップを身に付けたことが、現在の富山での活躍に確実につながっている。

 

(つづく)

 

▼月刊バスケットボール編集部員が語る“宇都直輝”のここに注目!!

https://sports.mb.softbank.jp/vod/player/15086

 



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