月刊バスケットボール5月号
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高田真希
C/185 cm
デンソー アイリス[/caption]

 

[東京2020 女子日本代表の横顔]

日本のゴール下を死守する絶対的キャプテン

 

 2009年から日本代表に名を連ねる高田真希。前回のリオオリンピックはもちろん、ワールドカップ(世界選手権)には3大会連続出場、アジア選手権の4連覇にも貢献しており、近年の世界に伍する日本代表の大黒柱として絶対的な存在となっている。 小学校の頃より空手とバスケットボールを両立させていた高田は、中学時代にはバスケットボール部での活動が中心になったというが、空手でも小学5年から中学2年まで、自らの流派の全国大会で優勝を続けていたと言うから、その強さがずば抜けていたことは間違いない。バスケットボールで全国にその名が知られるようになるのは高校時代。名門・桜花学園で活躍するようになってからである。高校3年時はエースとしてインターハイ、国体、ウインターカップの3冠を達成している。なお、この時の1年に渡嘉敷来夢(ENEOSサンフラワーズ)が在籍している。

 高校卒業後、Wリーグのデンソー・アイリスに入団。高田は1年目からスターターとしてチームトップの得点、リバウンドを記録するなど活躍を見せ、新人王を獲得。入団時は入れ替え戦(当時のWリーグは2部制)を争っていたチームを3年目にはベスト4に導き、以後、優勝こそないものの、ファイナルに2度進出するなど、デンソーは強豪の仲間入りを果たした。自身はベスト5の常連(9回の選出)であり、2013-14シーズンにはMVPも獲得している。あまり感情を露わにすることはないが、この間、11連覇を果たしていたENEOSに、常に先頭に立ち、挑み続けてきていた。その最大のライバルであるENEOSのエース渡嘉敷と、東京オリンピックではコンビを組むはずだった。しかし、渡嘉敷は昨年12月の皇后杯で、右膝前十字じん帯断裂の大けがを負ってしまった。必死のリハビリも間に合わず、今回の日本代表から外れることになった。

「出たくても出られない選手もいます。(渡嘉敷は)後輩でもあり、彼女がいなくても、自分たちができるというところを見せなければなりません。彼女が復活してきたときに、もっと日本のレベルを上げられるように」と気持ちを切り替え、プレー面では「彼女のアグレッシブなディフェンス、オフェンスも含めて一緒にやっていたときはすごく頼りになっていたのですが、そこは自分がしっかりと役割を果たさなければなりません。自分がポストを守り、後のコートに出ているほかの4人にカバーしてもらいながら、チーム全員でディフェンスを補っていきたい」と対策を練る。

 他国と比べ平均身長の低い日本代表のセンターとして、常に自分よりも10cm以上も大きな相手とやり合ってきた高田。頼りになる渡嘉敷の欠場もあり、その双肩に掛かる重圧は計り知れない。しかし、高田は表情を変えることなく、淡々と日本のゴール下を守り続けるに違いない。

(飯田康二/月刊バスケットボール)



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