月刊バスケットボール5月号
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富樫 勇樹
PG/167cm
千葉ジェッツ[/caption]

 

[東京2020 男子日本代表の横顔]

挑戦の連続で成長してきたバスケットの申し子

 

 これまで老若男女、多くの人々を魅了してきた司令塔、それが富樫だ。身長167㎝という日本人の中でも小柄な体格ながら、圧倒的なスピードとテクニックで大男たちを次々にかわし、シュートやアシストを決めていく。今年は所属する千葉ジェッツをキャプテンとしてBリーグ初優勝に導いた。日本代表としても、当時高校生で初選出された2011年以来、幾度となく日の丸を背負って国際試合を戦ってきた豊富なキャリアの持ち主である。

 
1993年新潟生まれ。「親の話では、1、2歳の頃からバスケットボールで遊んでいたようです」と、日体大出身の指導者である父・英樹氏(現・開志国際高コーチ)の影響もあって物心付く前から競技に親しんできた。「低学年の頃は試合に出るのが嫌で、ユニフォームを着せようとする大人から逃げ回っていたらしいです」と本人が笑うほどのシャイな性格だったが、「家にリングがあり、楽しくて常にボールを触っていた」と夢中になってスキルを磨き、小5のときに全国大会に出場。小6では惜しくも全国出場を逃して悔し涙を流したが、本丸中時代には当時同校の監督だった父とともに地元開催の全国大会に挑み、日本一に。

 そんな富樫が中学卒業後の進路として選んだのは、アメリカ留学。「周りの勧めもあったし、正直あまり深くは考えていなかった」とは言うものの、結果的にはこの選択が彼をさらに成長させた。日本以上に体格の大きな選手たちに囲まれ「レベルの差を痛感した」(富樫)中で、自らの生きる道として見出したのはディフェンスではなくオフェンス。モントロス・クリスチャン高では周りにパスをさばくことが主な仕事だったが、帰国後、bjリーグの秋田ノーザンハピネッツでプロデビューを果たすと点取り屋として開花。「 “点の取れるガード”というのは自分の理想というかこだわりで、変えたらいけない一番の強みだと思っています。自分勝手に攻めるわけではありませんが、ゲームメイクをしながら積極的に攻めることはずっと意識しています」と自らの長所を明確にすることで一皮むけ、それが現在の攻撃的なプレースタイルにつながっている。

 
その富樫には、東京2020オリンピックに並々ならぬ思い入れがある。Bリーグ1年目を終えた頃、「オリンピックが東京でなかったら、今ここにはいないかもしれません。Bリーグでプレーしているのは、オリンピックに出場するため、日本代表に選ばれるためという理由も大きい」と話していた富樫。海外挑戦ではなく国内でプレーすることを選んだのは、夢の舞台に立って全力を尽くすためだったのだ。

 
2019年に行われたワールドカップは強化合宿中のケガでメンバーを外れたが、今回はし烈なポジション争いを突破して最終名に選ばれた。フリオ・ラマスヘッドコーチも「彼のサイズは変更できるものではありませんが、スピード、得点力などそれを補う資質、技術を高く評価しています」と信頼を寄せている。「出場するからには、しっかり結果を求めてやっていきたい」と富樫。挑戦を生きがいとして自らを成長させてきた司令塔は、いよいよバスケット人生の転機となるような最大のチャレンジに臨もうとしている。

(中村麻衣子/月刊バスケットボール)



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