異色の“デュアル・キャリア”を目指してーー 藤岡麻菜美、シャンソン化粧品で現役復帰へ
本日5月6日、シャンソン化粧品シャンソンVマジックから藤岡麻菜美の入団が発表された。一昨季終了後の突然の引退から一転、今回の電撃復帰に腰を抜かしたバスケットファンも多いのではないだろうか? 藤岡は引退後に母校である千葉英和高でアシスタントコーチを務めているが、現役復帰後も高校での指導を継続する旨を明かしている。つまり選手と指導者という異色の"デュアルキャリア"だ。
見失いかけたバスケットの楽しさを
高校生たちに教えられる
2019-20シーズンが新型コロナウイルスの影響で中止となったあと、藤岡は26歳にして現役引退を決意した。早すぎる引退だったが、改めてその理由を聞くと、彼女はこう説明した。
「引退を決めた最終的な理由はケガでした。いろいろなことが重なって、正直、本当にバスケットをやるのが嫌で『もう無理だ!』ってなって、選手としてワクワクしている自分がいなくなってしまったんです。それに、私はバスケットを教えることにも興味があって『楽しいな』と思っていたので、思い切って(選手としての環境から)飛び出して指導の道に進もうと考えました」
女王JX-ENEOS(現ENEOS)に在籍していたことによる勝つことへのプレッシャー、自身への周囲からの期待、そしてケガ。そういった物事全てを受け入れるキャパシティが当時の藤岡にはなかった。
JX-ENEOS(現ENEOS)では次代の司令塔としての期待も高かったが、ケガなども重なり難しい日々を過ごした
そういたことを踏まえて現役を続けるか否かを考え抜いた末に引退を決断し、恩師である森村義和コーチが指導する母校・千葉英和高で外部コーチとして指導にあたることを決めた。
高校生への指導は楽しいものだった。「高校生ってものすごく走るし、練習はキツくてつらいはずなのに、みんなめちゃくちゃ楽しそうにバスケットをやるんですよ。目がキラキラしているというか。その中で『バスケットってやっぱりこういうスポーツだよな』って思い直して、初心に戻ることができたんです」と藤岡。高校生の姿を見ているうちに、いつしかもう一度プレーしたいという気持ちが芽生えていた。選手とは違った立場でバスケットを見たことも大きかった。「選手たちが頑張っている姿がひたすらに格好良いと思えたんです。試合に出られるかどうかというのはもちろんありますけど、その舞台にいるだけで夢があるし格好良いなって。今の自分がもう一度選手に戻ったらどうなるんだろうなという思いもありました」。こんなことを考え始めたのが、指導にあたって約半年後、昨年末のことだ。
とはいっても現役復帰を具体的に考えていたわけではない。「たまに遊びでバスケができたらいいなくらいの気持ちでした」と藤岡。ただ、そういうときにこそ自然と巡り合わせが生まれるものだ。「そう考えていた少し後くらいにWリーグのチームからお話をいただいたんです。漠然とまたバスケットがしたいと思っていたところに実際にオファーが来ると心も動きますよね。それで、顧問の先生と森村先生に正直に『やっぱりバスケットをやりたいです』って伝えたんですけど…」。
生き生きとした高校生の姿が、プレーヤーとしての藤岡の心に再び火を灯した
復帰したい気持ちと指導者としての責任
心が大きく揺れ動く
それは無理な相談だった。というのも、藤岡は今年度から千葉英和高のヘッドコーチを引き継ぐ予定だったからだ。森村コーチは当時をこう振り返る。「選手って引退して半年くらいするとまたやりたくなるんですよ、体はまだ元気だから。だからそう藤岡にも言ったんですけど、彼女は『いや、絶対にないです!』って断言したんです(笑)。それで『そうか! じゃあ私ももう歳だから来年から藤岡がヘッドコーチで、私がアシスタントコーチとしてやろう』って話をしていたんですよ」
そんな事情もあり、昨年、藤岡は選手のリクルートも担当していた。つまり、今年入学した新1年生は彼女自らがリクルーティングした選手たちというわけだ。新年度を共に戦うはずだった選手たちを置いての現役復帰。さすがにそれは一指導者としての責任に欠ける。「もう一度バスケットをやりたいと思わせてくれたのは高校生のみんなでした。その選手たちを置き去りにして、自分のやりたいことだけをやるというのはできなかった」と藤岡。コーチ陣の判断も、藤岡自身のこの言葉ももっともである。
そして、再び指導の道へと心を切り替えた。しかし、また…。「もう一度『一緒にやりたい』と言ってくださる方がいて、『あぁ〜、そう言われるとやっぱり』って」。決めかけるたびにそれを揺らがせる出来事が起こる。藤岡の心は揺れに揺れた。
この話を聞いているとき、ある選手の存在が脳裏によぎった。その選手は宇都宮ブレックスの渡邉裕規。彼もまた、若くして引退を決断しわずか半年で復帰、現在も活躍を続けている選手だ。渡邉は復帰の経緯をこう語っていた。「僕の中では“ブレックスの渡邉”を全部リセットしていたつもりだったんですけど、ある日、知り合いから草バスケに誘われて、4か月ぶりくらいにバスケをやっちゃったんですよ。それで普通にやれちゃって『やばい、バスケやっちゃったよ』って。そこから1か月くらい本気で迷いました。毎日僕の中の天使と悪魔が戦っていたんです。『復帰しろ』と言うのが天使で、『戻るな』と言うのが悪魔。でも別の日には天使が『復帰するな』と言って、悪魔が『復帰しろ」と言うんです」。まだ動けるのに引退する。この決断がどれほど難しいことかは、前例を見ればよく分かる。Wリーグで言えば吉田亜沙美(元ENEOS)もその1人だった。Bリーグならば渡邉や竹田謙(横浜ビー・コルセアーズ)、NBAではマイケル・ジョーダン(元シカゴ・ブルズほか)が2度も現役復帰し最終的には40歳までプレーした。それぞれ立場は違えど「もう一度バスケットがやりたい」という思いがあったことは間違いない。
指導者と選手をどれくらいの比率で両立するのか
藤岡の決断はシンプルだった。「じゃあ、両方やろう」
ただ、シンプルがゆえに難しく、驚くような決断だったことは明らかだ。トップリーグの選手が、異なるカテゴリーのコーチを兼任するという意味では前例がなく、指導者と選手をどれくらいの塩梅でこなしていけばいいのかは、藤岡本人にも分からない。
「(デュアルキャリアの決断をするにあたって)一番考えたのは指導者と選手の比率がどうなるのかというところです。始まってみなければ分かりませんが、気持ちとしては、何かあったときは高校を優先したいと考えています。今は何とも言い切れないので、高校側にもシャンソン側にも『週に何回行きます』とは明確に言わず、『その時々で変動しながらやっていきたい』と伝えています。最低ベースは話し合っていますが、実際にどうなるのかはこれからです」
どちらも本気で取り組みたいからこそ、どちらかに比重が大きく傾けばマイナスな意見も生まれるかもれしない。その塩梅は難しいところだ。
物理的な面でも課題がある。千葉県八千代市にある千葉英和高から静岡県静岡市にあるシャンソン化粧品の練習場までは、駅までの移動を含めると片道で約3時間はかかる。インターハイやウインターカップ、そのほかの大会も含めればオールシーズン試合がある高校バスケと、シーズン中は日々の練習に加えて土日に地方遠征も重なるWリーグの両立は、体力的にも相当な負担がかかるはずだ。
森村コーチも「体だけは壊さないように」と藤岡を気にかける。藤岡本人も「体を壊してしまったら本末転倒なので、自分の体の声を聞きながらやっていきたい」と慎重にことを進めていく構えだ。
物事は白か黒だけじゃなくてもいい
では、そもそもなぜ藤岡は前例のないデュアルキャリアという選択肢を取ったのか? それを実践する場として、なぜシャンソン化粧品を選んだのか?
デュアルキャリアを考え始めたのは、サラッと言われた何気ない言葉がきっかけだった。藤岡は現在、日本体育大で昨年から始まった『女性エリートコーチ育成プログラム』を受講している。このプログラムにはさまざまな競技に携わる12名(藤岡を含む)が在籍しており、『女性のキャリアをもっと普及させたい』というテーマの下、活動している。
自ら率先して前に出て選手たちを指導する姿は印象的だ
「プログラムの中でメンタリングの時間が設けられているのですが、そこでメンターの方に復帰について相談しました。バスケットとは全く関わりのない方だったこともあり、サラッと『どっちもやってみたらいいんじゃない?』って言われたんですよ(笑)。メンバーの中でバスケットは私だけで、ほかの競技では選手をやりながら指導者をしている方も結構いたんです。そういう話を聞いて、それでもいいのかなって思うようになりました。ほかの競技の方も周りにいたからこそ、そういう選択肢が生まれたのだと思います」
藤岡は物事にはっきりと白黒を付けたい性格だ。高校時代には規律を少しでも乱した生徒がいれば注意せずにはいられなかったほど。そんな彼女が指導者と選手の両方、つまり白でも黒でもない違った色を受け入れたことは、ものすごく大きな成長だった。
藤岡は言う。「指導を始めてから『それもアリだよね』という発想が生まれて、選手にある程度託せるようになったんです。そうすると私が想像していなかったような考えが生まれることもあるので、指導者としてそう思えたことが、現役に復帰したときに選手としての自分にも当てはまれば、気持ち的にも前よりも楽になるのかなと思います」
復帰にあたってシャンソン化粧品はこれゆえない環境だった。「デュアルキャリアにすごく共感を示してくれましたし、ヘッドコーチの李玉慈さんから昨年、私が引退する前もずっと誘われていたんです。李さんもポイントガードをやっていた方なので、自分にとっても新しいバスケットを学べるチャンスだなと思いました。それにシャンソンは若くてこれからのチームなので純粋に将来が楽しみだな、と。李さんと話をしたときも『経験のある選手が欲しかった』という話をしてくれたので、若いチームだからこそ、私の経験を伝えるという面で力になりたいです。チームに合わせられる自信はあります!」と藤岡。舞台は整ったのだ。
「コーチをやって考え方がいろいろと変化したり、整理された自分がバスケットボールプレーヤーに戻ったときにどんな景色が見えるのかを知りたい」
選手としての目標は、「まずは新しい環境に慣れること」だ。その上で「チームでは最年長になりますし、いろいろな経験をしてきたので、シャンソンの掲げる目標にしっかりと到達できるように自分の経験を若い選手たちに伝えながら、ケガなくシーズンを戦っていきたいです」と藤岡。
その先には一昨季引退する前に目指していたパリ・オリンピックが浮かび上がるのかもしれないが、それはまだ先の話だ。「復帰してからも目標というのは少しずつ変わっていくはずですが、今の時点では先のことは考え過ぎず今日と明日、毎週、毎週と考えていきたいと思います。まずはコーチをやって考え方がいろいろと変化したり、整理された自分がバスケットボールプレーヤーに戻ったときにどんな景色が見えるのかを知りたい。それから、デュアルキャリアを歩む選手のロールモデルとして、情報を発信できたらなと思っています」と藤岡。
「選手とヘッドコーチの懸け橋になっていきたい」
指導者としては、森村コーチと選手をつなぐ存在になることが目先の目標だ。そのためには時間を惜しまない構えだ。「練習を見られる日には引き続きアドバイスをしますし、来られない日もオンラインなどでとにかく選手のために時間を作りたいと思っています。選手の不安をゼロにすることはできませんが、ゼロに近付けることはできるはずです。選手とヘッドコーチの懸け橋になっていきたい。それは絶対に変えずに意識して、常に選手に寄り添って。それをうまく森村先生に伝えながらやっていきたいです」
藤岡に待ち受けるのは想像もしないほどの荒波かもしれない。しかし、歴史を切り拓く先駆者としての期待は大きい。そして、それを受け入れるだけのキャパシティが今の彼女にはあるはずだ。
指導者としての目線を踏まえて戦えることは選手として復帰する中で大きなメリットだ。逆に指導者としてもシャンソン化粧品での出来事を千葉英和に還元できるだけでなく、現役高校生からすればトップリーグの現役選手と練習できるという唯一無二の経験をすることができる。
藤岡麻菜美、27歳。誰も挑戦したことのない道への歩みが今、始まった。
取材の最後に恩師、森村義和コーチ(右)と
写真/JBA
取材・文/堀内涼(月刊バスケットボール)