月刊バスケットボール5月号

Wリーグ

2021.03.22

Wリーグ プレーオフMVP安間志織 本当は野球をやりたかった?

 昨日行われた2020-21 Wリーグ プレーオフ ファイナルGAME2でENEOSを破り、初優勝したトヨタ自動車。そのトヨタ自動車のPGとして活躍し、プレーオフMVPを受賞したのが安間志織だ。司令塔としてチームをけん引しただけでなく、独特のリズム感があるドリブル、的確なミドルシュート、思い切りのいい3Pシュートといった魅せるプレーは、まさにプレーオフMVPに値するものだった。月刊バスケットボールでは2021年2月号で幼少期から現在に至るまでのインタビューを掲載しているが、プレーオフMVP受賞を記念して、改めてここで紹介する。本当は野球をやりたかったこと、全中優勝時のことなど、過去のエピソード満載。コレを読んで安間の魅力を今一度チェックしてほしい。

 

 

【関連記事】気持ちを全面に出して戦ったトヨタ自動車が初優勝。ENEOSの連覇止まる。

 

<独特のリズム感は男子とプレーしていたから>

 

 幼いころは家の目の前が海という環境でしたが、実は私泳げなくて(笑)。スポーツは父が野球、母がソフトボールをやっていたこともあり、両親とキャッチボールをするのが大好きでした。特に父の強い球を取るのが楽しかったです。

 

 そういうこともあり小学校では野球部に入りたかったのですが、当時は野球部に入る女子がまずいなくて…。北谷町ではバスケットボールが盛んで、姉もやっていたので私もバスケットをすることになりました。私は4人姉妹の末っ子で、真ん中の姉2人がバスケットをしていたので親が私もバスケットに行かせることにしたのですが、本当は野球をしたいのにバスケットに連れていかれて泣いていたみたいです。私自身の記憶はないのですが…。

 

 でもバスケットを始めてみるとすぐに楽しくなりました。浜川小は基礎を大切にしていて毎日同じハンドリングのメニューをず~っとやる感じでしたが、私にとってはそれがイヤではなく逆に楽しくて、ハンドリングやドリブルの基礎はこのときに身に付けました。また低学年のときは男子に混ざって5対5の練習をしたり試合に出たりするのも楽しかったです。よく「プレーに沖縄特有のリズム感がある」と言われるのですが、私自身は意識していなくて…。小さいころに男子と一緒にプレーしていたのが、そう言われる要因なのかもしれません。でもWリーグに入ってからは、緩急のリズムは意識して技術としてやるようにはしています。

 

小5の頃

 

<全中優勝&インターハイ準優勝>

 

 中学は北谷中に進学。沖縄でもトップレベルの選手たちが集まっているチームなので試合に出られるとは思っていなかったのですが、『おばあちゃん家が近いからいいかな』と。ちなみに津山尚大(アルバルク東京)は北谷中の後輩です。

 

 北谷中時代に思い出に残っていることは2つあって、一つは中1のときのポッカ杯。1~2年生の大会ですが、すごく大きいチームと対戦し3Qで20~30点差で負けていて、試合を見に来ていた私のいとこは『このまま負けるだろう』と思って途中で帰ったぐらいでした。それが4Qの最後の最後で追い上げて逆転勝ち。チームのスローガンである“ディフェンスからのファストブレイク”が遂行できた試合でした。

 

 そしてもう一つは、中3のときの全中優勝です。沖縄では負けなしだったものの九州大会は3位。初めての全国大会は、予選リーグで優勝候補の樟蔭東中(近畿1位)、若水中(東海1位)と同じブロックになりましたが、私たちは本当に何も知らなかったので名前負けすることなく、“沖縄の自由な感じのスタイルでガンガンいったら勝っちゃった”みたいな。当時のキャプテン直田が本当に鬼のディフェンスで、その子を筆頭に全員でガーっていったら優勝しちゃったみたいな感じでした。当時の私は本当にシュートを打たなくてドライブとパスばかりでしたが、緊張はせず『楽しかった』という記憶があります。また、元JX-ENEOS(現ENEOS)の川上麻莉亜が一緒のチームだったので、ポテンシャルというかレベルも結構高かったと思います。

 

 中村学園女高へは吉村明先生と平岡雅司先生に声をかけていただき入ることにしました。全中の試合を見てくれていたみたいです。中学の監督に「挑戦してもいいんじゃないと」と言われたのと、家族がサポートしてくれたのも大きかったです。

 

 当時、中村学園女高については“バスケットが強いチーム”ということは知っていましたが、見学せずに入試で初めて行ったので不安で『私はビデオ係でもいいや』と思っていました。実際、最初の方の練習では、体の当たりが強くて吹っ飛ばされたんです、本当に。当時の私は体幹のコアが弱く、20㎏のシャフトは1人で持てないし、プランクも10秒キープできないくらいでした。あと、中村学園女高は規則も厳しくて、普段の生活でも携帯禁止だったので持っていた携帯を解約したのを覚えています。でも携帯がないからこそ手紙を書く習慣ができました。それは今でも良かったと思います。

 

 試合で思い出に残っているのは高1のときの沖縄インターハイ(2010年)。試合にも出させてもらって、決勝の出来は良くなかったですが、これまでと違うユニフォームを着て地元に帰ってプレーする姿を恩師の方や家族、友達に見てもらえたのはすごくうれしかったです。あと高2の練習中に「お前、今日からキャプテンやれ」って言われたときはビックリしました。

 

 中村学園女高では本当にいろいろなことを教えてもらいました。入ったばかりの頃はセンターのハイローを使うことが多かったので、どういう角度を作ってセンターにパスを出すかとか。1対1の技術では相手の足の位置を見てタイミングをズラしたりなど仕掛けるまでの練習が10種類くらいあり、『こんなに種類があるんだ』って。また、『ジャンプシュートや3Pシュートをもっと徹底していかないと』と思うようにもなりました。

鹿児島全中では沖縄県女子として初優勝

 

<比嘉学監督>

 

 北谷中の比嘉学監督とは友達みたいな関係です。

 

 中学の練習はキツかったですが楽しくできていましたし、「仲間が走っていなくてもボールを取ったらすぐ前にパスを出すぐらいの感覚でやれ」と言われていて、それは今のトヨタ自動車でのディフェンスから走るバスケットにつながっていると思います。

 

 高校生になって沖縄を離れた後も、結構頻繁に連絡をくれたり試合のチェックもしてくれていました。「いつでもサポートするよ」と言ってくれていたので、私もストレスがたまったときは家族にも言わないことを監督には言ったりしていましたね。今でもちょっとした悩みや聞いてほしいことがあったら電話やLINEで連絡しますし、沖縄に帰ったときは絶対一緒にご飯に行きます。監督は私の家族とも仲が良くて、おばあちゃんも監督と話をするぐらい。北谷中の女子バスケ部員はよく校外走をしてるのですが、監督が学校の近くに住んでいるおばあちゃんを見つけると話をするらしく、たまに「こないだおばあちゃんに会ったよ」と連絡が来ます。

 

<私がやるべきことをしっかりやる>

 

 中村学園女高から拓殖大に進学したのは、私自身がWリーグでできると思っていなかったから。いちおう顧問の先生から話はありましたが、迷いなく「大学に行きます」と言いました。

 

 拓殖大では、高校時代に重なってはいないですが中村学園女高の先輩である瀬崎理奈さんのプレーがカッコよすぎてマネしていましたし、よく練習後に「1対1して下さい」ってお願いしていました。あと、拓殖大ではキャプテンとしてチームをまとめることもしましたが、佐藤森王監督がすごくパワーがあって「明るく元気に楽しくバスケットをやろう」という方だったので、バスケットを楽しむことを教わりました。また、関東に行って実業団のチームとも練習する機会が増えたことで、『卒業後はWリーグでプレーできたらいいな』と思うようになりました。

 

 トヨタ自動車に決めたのは、同じ沖縄出身で大学の先輩でもあり同じポジションで日本代表にも入っていた久手堅笑美さんがいらっしゃったので『同じチームでチャレンジしてみたい、学びたい』というのが大きかったです。

 

 トヨタ自動車に入って今季で4年目ですが、本当に全部の面で成長していると思います。これまではシューターへのパスがメインでしたが、イヴァン トリノスアソシエイトヘッドコーチになったとき「打て打て打て。空いたら打っていいんだぞ」と言われて『これだけシュートを打っていいんだ』と気付かされて、今は本当に自信を持って打っています。あとは、得意なスピードのあるプレーをするだけでなく、わざとスピードを落としたりというスピードの緩急も意識できるようになりました。そういった面を含め、いろいろと成長できていると実感しています。

 

 今季の試合では私がスタートとして出させてもらっていますが、私があまり良くないときはタイプの違う山本麻衣や西澤瑠乃がフォローしてくれているので、チームの勝利のためにはそこが助け合いになると思います。その上で私が出させていただいたときは『私がやるべきことをしっかりやろう』と思っていて、ディフェンスでは私からプレッシャーをかけていきたいですし、オフェンスではドライブやアシストだけでなく、空いたらジャンプシュートや3Pを打つこと。そうすれば相手がもっと出てくると思うので、そこからドライブしてパスだったりシュートだったりという選択肢が増えると思います。あと、一番はゲームメイクですね。チーム的にみんなが点数を取れるので、どう使うか迷っちゃうときがあるのが課題です。

 

 髪を短くしているのはもともと短い方が好きなのと、プレースタイル的に私に合っていると思いますし、実際短い方がプレーがしやすいから。学生時代に『伸ばそうかな』と思ったことがありますが、自分が長い髪でプレーしているのが納得というか想像できなくてやめました。今季特に短くしたのは『人生に一回は坊主にしてみたい』と思っていたからで、オレンジに染めたのはただの坊主だと小中学生の野球児と一緒になってしまうからです(笑)。

 

拓殖大時代はキャプテンも務めた

 

<私らしく>

 

 トヨタ自動車に入った当初は、人と比べたり、『私はシュートができないから』と思ったり、一つミスをすると考えすぎたりしていました。でも年々、少しずつ『人と比べるのではなく、私のできるプレーをしよう』と思えるようになりました。『あの選手にはこういうプレーがある。この選手にはこういうプレーがある。そして私にはこういうプレーがある』と考えられるようになったんです。自分ができないことをカバーしてくれるチームメイトがたくさんいるので、もちろん修正することは必要ですが、チームに頼りながら、うまく私らしいドライブやアシストをして、それに加えて磨いている3Pシュートを決めていければと思っています。こういう髪型もしていますし、誰とも比べない私らしいバスケットをしていきたいと思っています。

 

2020年10月撮影

 

取材・文/髙木希武(月刊バスケットボール)

※月刊バスケットボール2021年2月号より再掲

 



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