月刊バスケットボール5月号

祝!! 初来日記念!! カイリー・アービング ストーリー Part.1

祝!! 初来日記念!! THE STORY OF KYRIE IRVINGカイリー・アービング ストーリー Part.1   オールスター選出4度(2014年にはMVPを獲得)、NBAチャンピオン(2016年)、 世界大会2度の金メダル(2014、16年)と、25歳ながらすでに輝かしい功績を残す NBA屈指のスコアリングガード、カイリー・アービングが7月21日(金)に日本へ やって来る。現役NBA選手さえも憧れる、その華麗なボールハンドリングやシュートの テクニックなどを目の当たりにできるクリニックは必見。ここでは来日を記念し、 5回に分けてカイリーのストーリーをお届けしていく。第1回はカイリーが バスケットボールに夢中になったきっかけや生い立ちを紹介したい。       「GOAL:PLAY IN THE NBA(目標:NBAでプレイすること)」 これは、カイリー・アービングが小学校4年生のとき(2002年)に自らの目標として 書き、クローゼットに隠していた言葉である。当時カイリーが住んでいたのは ニュージャージー。 01‐02シーズンのNBAといえば、リーグきっての名司令塔ジェイソン・キッド (現バックスHC)がサンズからニュージャージー・ネッツへと移籍したときで、 キッドは前年僅か26勝のチームを52勝させてイーストトップまで導き、NBA ファイナルまで進んでいる(結果はレイカーズに4連敗)。 カイリーは「メモのことは今でも覚えているよ。どの試合かは忘れてしまったけど、 ネッツの試合にとても感銘を受けてね。バスケに情熱を捧げる源泉になったんだ」と、 プロ入り後の14年に語っている。そのメモを書いてから約15年後、今やカイリーはNBA きってのスター選手にまで成長した。

キッド(左)の入団初年度にNBAファイナルへと進んだネッツ。スピーディーなスタイルで人気を博したPhoto:Tomoaki Sasaki     1992年3月23日、カイリーが生まれたのはオーストラリアのメルボルン。 カイリーの父ドレデリックが、プロのバスケットボール選手としてブルイーン・ ブルマーズ(オーストラリアのプロチーム)でプレイしていた影響もあり、 カイリーにとってはバスケットボールがおもちゃだったと言っても過言ではない。 生後僅か13か月でバスケットボールに触って遊んでいたという。

手に吸い付くかのように見事なボールさばきを見せるカイリー。生後13か月でボールに触っていたのもうなずける(写真は2011-12シーズン)Photo:Yasutaka Ishizuka     その後、カイリーが2歳になった94年にアービング一家はアメリカ、ニューヨークの ブロンクスへ移り住む。そしてカイリーは4歳になると、すでに通常の高さのリング 目掛けてシュートを放つまでに。しかしちょうどその頃、母エリザベスが敗血症症候群の ためこの世を去る。 カイリーと1歳上の姉エイジアが悲しみに暮れたのは言うまでもない。 そうした不幸があった中、父ドレデリックはドラッグや拳銃による犯罪が頻繁に起こる 地域(ブロンクス)を抜け出す必要性を感じていた。そこでニュージャージーへ移ることと なるのだが、カイリーはブロンクスにあるプロジェクト(貧困地区と呼ばれる治安が悪いエリア) でバスケットの腕を磨いていった。 「週末になるとほとんどそこにいたんだ。父さんが子どもの頃にバスケがうまくなっていった 環境で僕もやりたかったからね」とカイリーは言う。その成果はすでに表れており、6歳の頃には 利き手ではない左手でレイアップを決めていたという。右も左も自由自在に使いこなすカイリーの プレイスタイルの原点は、この頃に身に付いたのだろう。

リング下に誰がいようとお構いなしに跳び込み、リムに直結するコースを見付けてはレイアップを繰り出すカイリー(写真は2011-12シーズン)Photo:Yasutaka Ishizuka     次回は6月28日(水)に更新予定  

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