月刊バスケットボール6月号

【ウインターカップ2020】信じ続けた指揮官の下、コンバートに挑戦した越田大翔(仙台大明成)

 ウインターカップ男子決勝戦、東山(洛南)と仙台大明成(宮城)の試合は、まさに白熱の死闘となった。

 

 立ち上がりこそゾーンディフェンスの機能した仙台大明成がリードしたが、東山も# 9 ムトンボ ジャン ピエールが献身的にリバウンドに奮闘し、#4西部らの3Pシュートで追い上げる。その後も#11米須玲音を起点に持ち味の攻撃力を発揮し、東山が3Q最大17点のリードを奪った。

 

 ただ、オフェンスが停滞し、「一時は諦めかけた」(佐藤久夫コーチ)仙台大明成だったものの、ディフェンスで粘りを見せて反撃。4Qには佐藤コーチが「開き直れた」と言うように全員が思い切りのいいプレーを見せ、#7越田大翔のバスケットカウントで残り5分5点差に。さらには、ここまであまり入っていなかったものの打ち続けた#10山内ジャヘル琉人、#8山﨑一渉の勝負強い3Pシュートなどで逆転に成功した。東山も譲らず、リバウンドからのセカンドシュートや米須の3本のフリースローで残り16.4秒、同点に戻したが、最後は仙台大明成のエース・山﨑のシュートで勝負あり。リバウンドのこぼれ球から残り5秒に決勝点を決め、72-70で仙台大明成が3年ぶり6回目の優勝を収めた。

 

 ヒーローインタビュー、「選手たちには『自分を信じること、自分のチームを信じること…信じることで報われることがいっぱいあったな』と声をかけたいと思います」と喜びを語った佐藤コーチ。

 

 その“信じる”ということでいえば、3年生の越田大翔は入学以来、佐藤コーチがガードをやれる選手だと信じ続けた選手だ。

 

 筆者が初めて越田を取材したのは、2017年の全国中学校大会。当時のプレースタイルは、今とはだいぶ違うものだった。地元の北海道から開催地の沖縄まで、はるばる南下して戦いに挑んだ北見北中の越田は、中3当時で187㎝(現在192㎝)あり、チームの大黒柱的な存在。器用なオールラウンダーではあるが、あくまでフォワードやセンターの選手だった。

 

 なおその全中では西福岡中(33−74)、山王中(44−63)に完敗を喫して予選リーグ敗退。試合後の越田は号泣のあまりしばらく言葉が出てこず、一旦集合写真撮影を挟んで取材を後に回したほど。「緊張もあって、自分の力をほとんど出せなかったです…」と言葉を絞り出した当時の越田。試合中は表情一つ変えないポーカーフェイスでも、その内側に人一倍負けず嫌いな闘志を燃やしていた。

 

 その越田は中学を卒業して、強豪・仙台大明成の門戸をたたいた。高校でも、ポーカーフェイスと内に秘めた負けず嫌いはそのままで、1年生のウインターカップで敗れたときには「何もできなかった。自分のせいで負けてしまいました」と、ルーキーにもかかわらず大きな責任を感じていた。

 

 高校入学以来、佐藤コーチの提案でガードへのコンバートに挑戦してきた。先述したように中学時代まで司令塔の経験はなし。下級生の頃は、そつなく何でもこなせるからこそ自身のプレーに迷ったり悩んだりすることも多く、彼の口から出るのはいつも反省ばかりだった。

 

 だが「おれはしつこいから、(コンバートを)あきらめない」と言う佐藤コーチの下、時間をかけて少しつづ成長。今大会ではガードとして頼もしく仲間を引っ張り、3年間の集大成として成長した姿を披露した。これには佐藤コーチも準決勝後、「今までは練習してきたことをすぐコートに出せる選手ではなかったのですが…。学習機能を働かせることが、試合の中でもできてきている」と越田の成長を口にしたほど。決勝では4Q終盤に5ファウルで退場したものの、追い上げのきっかけとなるバスケットカウントを獲得するなど、チームの勝利に大きく貢献した。

 

 内に秘めた負けず嫌いの精神で苦難を乗り越え、信じ続けた指揮官の地道な指導の下、3年間で立派なガードへとコンバートした越田。ヒーローインタビュー、越田の声は震えていた。「3年間明成でやってきて、自分が1年生の頃からウインターカップなど試合に出してもらったんですけど、3年生の足を引っ張ってしまって自分のせいで負けてしまった試合もあって…。ラストのウインターカップで、みんなで協力し合ってゲームを作って優勝できて、本当にうれしいです」。その目にはキラリと光るものが。これまで流してきたたくさんの悔し涙が、喜びの涙に変わった瞬間だった。

 

写真/JBA
取材・文/中村麻衣子(月刊バスケットボール)

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