月刊バスケットボール5月号

ウインターカップ2020直前レポート 不滅伝説 - 能代物語のこれから①

 

バスケの街の伝統を継承していく能代

 

 能代工業高校(以下能工)が、その校名で臨む最後のウインターカップがまもなく始まる。地元能代市の人々はどんな思いで過ごしているのだろうか。能代市には地域おこし協力隊という地元コミュニティの活性化を図る事業があり、バスケットボールでの地域振興に関わる担当者がいるというので連絡してみた。
その方は千勝数馬さんといい、国士舘大学出身でバスケットボールに情熱を注いできた人物だった。千勝さんは能代市出身ではなく茨城県の生まれ。大学卒業後の2019年に能代に移住して現職に就いた。市外・県外からの人材を受け入れ、バスケットボールに軸足を置いた事業を行っていること自体、能代市が将来に向けバスケットボールとともに歩んで行こうとしている積極的な姿勢の現れのように思えた。その上バスケットボールに対する情熱と知識を備えた千勝さんの登用。バスケットボールの街としてのアイデンティティーを大切にしたいという能代市の本気度が伝わってくる。
その千勝さんによると、現在能代市内では市民生活の拠点にもなっているイオン能代店、市が運営するバスケットボールミュージアム、そのミュージアムがある柳町商店街で、能工の歴史を振り返る大々的な展示を行っているとのこと。「前代の加藤先生(加藤廣志先生=1990年まで能工の監督を務めた名将。1937年4月25日生まれ、2018年3月4日没)のコーナーもあり、資料のすべてを展示しきれていないものの、歴史を振り返っていただけるようにしています」。
市の能工応援活動は他にもある。市民の思いがチームに届くようにと用意した横断幕にファンの手書きメッセージを募り、すでに能工に届けてあるという。

 

 

「バスケットボールの街」として知られる能代では、JR能代駅で降りたお客さんがホームでフリースローをできるアトラクションが用意されている。市の観光協会とJR東日本の企画だそうだが、それ自体、市民が能工の伝統を誇りに思っていればこそ考え出されるアイディアだろう。そういった個性が、校名変更とともに変わったり失われたりするような影響はないのだろうか…と余計な心配が涌いてくる。
「これからも変わりません」と千勝さんは言う。「バスケの街に来たんだなと思ってもらえるのは(市の魅力を感じてもらう)良い入り口です」。確かに、校名が変わってもこれまでの歴史がなくなるわけではないのだ。市は逆に、今後もバスケットボールミュージアムを中心に、その継承に注力する考えを持っているようで、千勝さんは「能工の伝統を感じていただける取り組みは続けていきます」と明るく話してくれた(千勝さんのインタビューは添付のYouTube動画でぜひご覧ください)。
先にこの4月、能代市は地元にゆかりのある著名人14人を能代ふるさと観光特使として発表している。その中でスポーツ関係では、オリンピックの体操競技で金メダル5個に銀メダルと銅メダル4個ずつを勝ち取った小野 喬さん、プロ野球の阪急ブレーブス(現オリックス・バッファローズ)でアンダースロワーとしては史上最多の通算284勝を挙げた名投手の山田久志さんに並び、能工OBにして日本人初のNBAプレーヤーとなった田臥勇太さん(現Bリーグ宇都宮ブレックス)の名前がある。文化・芸能関係で名を連ねる友川カズキさんも能工ゆかりのアーティスト。また、このカテゴリーには元月刊バスケットボール編集長の島本和彦さんの名前もある。
これを見ても、能代市においてバスケットボールの特別な存在感は、今後も揺るぎそうにない。(パート2に続く

 

取材・文=柴田 健/月バス.com

(月刊バスケットボール)



PICK UP