月刊バスケットボール5月号

Bリーグ

2020.12.02

B2リーグで輝きを放つ仙台の笹倉怜寿 八村塁からの刺激を受けて

 Bリーグが誕生した2016-17シーズン以来、B1から遠ざかっている仙台89ERSは今季、5シーズンぶりのB1復帰を目指して厳しい戦いを続けている。その中で主力の一人として輝きを放っているのが、ルーキーの笹倉怜寿だ。笹倉は東海大4年時に、特別指定選手としてアルバルク東京に入団。今シーズンは仙台に期限付移籍し、開幕戦からスターターとなってチームに貢献している。11月28日現在、仙台は東地区2位。何としてもB1へと返り咲きたいところだ。そこで、1番から3番までこなす笹倉に、アースフレンズ東京Zとの第1戦(11月28日)を終えた直後、今の思いを聞いた。

 

11月28日の東京Z戦では18得点、3リバウンド、5アシストで勝利の貢献/©︎B.LEAGUE

 

試合を重ねるごとにパフォーマンスがアップ

 

これまでの試合を振り返って、ご自身のプレーについての感想をお願いします。

 ルーキーシーズンの今年からしっかり試合に出るようになりました。今はスタートで出ていますが、シーズンの最初の頃はチームでの自分の役割は何なのか、チームの色、どんなディフェンスをするのか、どういうバスケットボールなのかを探り探りやっているような状態でした。ですから、シュートなど自分のパフォーマンスをしっかり発揮できなかった試合が何試合かありましたが、先輩たちが僕のためにパフォーマンスしやすい環境作りやコミュニケーションを取ってくださったので、試合を通してどんどんいいパフォーマンスになってきていると思います。

 

得意なプレーを教えてください。

 今はまだポジションが定まっていなくて、1番から3番までやっている状況です。試合によってどういったパフォーマンスを発揮しないといけないとか、どういった仕事をするべきなのかというのが変わってくるので、すごく難しいです。でも、どんなポジションをやっていてもアグレッシブにゴールにアタックすることや、周りをよく見て味方を生かすプレー、味方のいいところを引き出すプレーは徐々にできていると思います。

 

今日(11月28日)のドライブからのバックシュートは格好良かったですよ。

 もう一回やれと言われたら無理です(笑)。難しいです。今日はたまたまできました(笑)。でも、ビッグマンが体を張って良いスペースを空けてくれたり、味方のお陰で伸び伸びプレーできているから、本当にチームメイトには感謝しています。

 

ゴール下にスパッと良いアシストも出していましたよね。

 そこは見逃しちゃいけないという思いがありました。

 

 

 

大学4年時に特別指定選手としてA東京入り

 

大学4年時に特別指定でA東京に入りし、今シーズンから期限付移籍で仙台入りしましたが、プロ選手になるのはいつ頃から意識していたのですか?

 プロというのは薄っすらと頭にはありましたけど、しっかり目標になったのは大学3年生のときです。U22の日本代表でプレーしたときに通用する部分もあったし、もっと高いレベルに挑戦したい、もっと高いレベルでプレーしたいと思ったので、しっかり目標になったのはU22で日本代表入りしたのがきっかけですね。

 

中学時代の先輩に馬場雄大選手(メルボルン・ユナイテッド)と、同級生に八村塁選手(ワシントン・ウィザーズ)がいて、彼らからの刺激もあったのではないですか?

 もちろん刺激をもらっています。本当に高い志を持ってやっているところは、僕も見習わなければいけません。

 

「中学時代に彼らと一緒にやっていたんだよ」…みたいな気持ちはありますか?

 そういうのはあんまり(笑)。でも、彼らは中学生の頃から高い意識でやっていましたし、高いレベルに行くだろなあというのは見えていましたね。ただ、あそこまで行くとは当時は思っていませんでした。でも、それは彼ら自身の高い意識があって、つかんだものをしっかり自分のものにしたことが結果に出ているのだと思います。

 

2012年の全中決勝。ジャンパーが八村で写真右が笹倉。対戦相手の西福岡中には現富山グラウジーズの松脇圭志も所属していた

 

ところで、目標はB1昇格だと思いますが、期限付移籍での仙台入りですよね。

 B1昇格という明確な目標があると聞いて移籍を決めたので、目標を達成するためにはしっかりと積み重ねてやっていかなければという思いでやっています。

 

期待されていると思いますが、プレッシャーはありますか?

 そうですね。プロ1年目で仙台に来てすぐにスタートで出させてもらっているので、いろいろな思いはあります。何年もこのチームでプレーしている人たちがベンチから送り出してくれているので、僕自身プレッシャーもありますし、『負けてはいけない、やらなければいけない』という思いはあります。

 

こんな選手になりたいという目標は?

 ポイントガードがメインポジションですが、今は1番、2番、3番をやっています。でも、ポイントガードなら日本の中ではサイズ(187cm)があるので、サイズを生かしつつ日本のトップガードを食っていけるような選手になりたいです。

 

ガードとしての課題は?

 ゲームメイク、決定力、判断力、どれだけ試合中にコミュニケーションを取れるか。リーダーシップの部分も含めて、まだまだ足りない部分だと思うので、試合をとおしてどんどん身につけていきたいと思っています。

 

数字的な今シーズンの目標はありますか?

 まずターンオーバーを減らすことを意識しています。毎試合10点はコンスタントに得点したいし、あとはいかに味方を生かせるか。アシストも意識したいです。

 

 

今や仙台に欠かせない存在となった/©︎B.LEAGUE

 

『22番=笹倉怜寿』を覚えてもらえるパフォーマンスを!

 

現在のチームの状況はいかがですか?

 何試合か負け続けた時期があったんですけど、チームが落ちることなく先輩方がしっかり作り上げてくれました。逆に負けたことで見付かった課題もいっぱいありますし、次の試合にそれを生かしていこうという思いがみんなにはあります。試合に出られる出られないという、そのエゴを捨ててチームのために自分は何ができるのかというのを一人ひとりがしっかり考えてプレーしているので、今後の試合で発揮したいと思います。

 

チームの今後の課題は何ですか?

 負けた試合はだいたいパターンが決まっているんです。クォーターの入りが悪かったり、同じような形で連続して相手に得点されたり、やられてはいけないところで連続でやられたりと、負けるパターンは決まってきているので、同じミスをしないというのが一つの課題になってきますね。

 

最後の質問です。大学時代から同じ『22番』を着けているのはなぜですか?

 大学に入った時に何番でもいいと思っていたのですが、僕の前に『22番』を付けていたのが高校の先輩の飯島理貴さんだったんです。そしたら、4年生のマネジャーの方に「高校の先輩の背番号を着けたらいいじゃん」と言われて22番になりました。ひと桁が格好良いと思ったりもしたんですけど、僕は着けた番号で覚えてもらえる目につくパフォーマンスをしたいと思っていたから、もともと何番でも良かったんですね。今では『22番』がしっくりきているし、これからも『22番=笹倉怜寿』を覚えてもらえるようなパフォーマンスをやっていきます。

 

 

笹倉怜寿(ささくら・れいじゅ)

1997年7月8日生まれ(23歳)/187cm/80kg/ポイントガード/血液型:A型/富山市立奥田中→東海大三高(現・東海大付諏訪)→東海大/富山県出身/奥田中3年時には八村塁らとともに全国中学校大会に初出場し準優勝に輝いた。高校時代もインターハイ、ウインターカップなどの全国大会を経験し、卒業後は東海大に進学。東海大では2年時の新人戦で優勝、3年時にはリーグ戦・インカレを制し2冠獲得に貢献。U22日本代表にも選出された経験を持つ。昨シーズンは特別指定選手としてアルバルク東京に所属。その後、仙台89ERSに期限付移籍(期間は2020年7月1日~2021年6月30日)となり、現在主力として活躍中。そんな笹倉について、桶谷大ヘッドコーチは「彼のいいところはどこからでも点が取れることと、起点になれること」と評価している。

 

取材・文/飯塚友子



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