月刊バスケットボール5月号

“ス―パースター漫画ヒストリーvol.16”史上最高のオールラウンダー レブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)

 10月24日発売の最新号、『月刊バスケットボール12月号』のス―パースター漫画ヒストリー”第16弾は、NBA史上最高のオールラウンダーであり、今年のNBAファイナルでも圧巻のパフォーマンスを披露したレブロン・ジェームズ(ロサンゼルス・レイカーズ)を紹介する。

 

 オハイオ州アクロンで生まれたレブロンは母グロリアに育てられ、引っ越しを繰り返す幼少期を過ごしていた。父親については明かされておらず、さまざまな説があるものの、レブロン自身はそれらを認めていない。

 

 幼少期のレブロンが情熱を注いでいたのは、バスケットボールだった。当時のアイドルはマイケル・ジョーダン(元ブルズほか)で、レブロンも点を取ることばかりを考えていた。しかし、AAU時代のコーチからパスやドリブルに力を入れるように諭されたことが転機だった。これが現在の彼のオールラウンドなプレースタイルにつながったというわけだ。

 

 高校では地元のセント・ビンセント=セント・メアリー高を連戦連勝に導き、その活躍は全米中の話題となった。その人気はとどまることを知らず、高校のアリーナでは収まりきらないほどの観客が詰めかけたために、ホームアリーナには大学のアリーナを使用しなければならなかったというのは有名な話である。

 

“選ばれし者”と称され、高校時代からキングの愛称で知られたレブロンは後に史上最高のドラフトクラスと呼ばれる2003年ドラフトで堂々の1位指名。彼を獲得したのはほかでもない、オハイオ州に本拠地を置くクリーブランド・キャバリアーズだった。低迷期を脱するべく地元のスターを獲得したキャブスは、レブロンが入団した年にユニフォームのデザインを刷新し、新たな時代の幕開けを強調した。レブロン自身は1年目に平均20.9得点、5.5リバウンド、5.9得点と期待通りの活躍で新人王を獲得。高卒1位指名選手としては初めてのことだった。

 

 3年目には初のプレーオフ進出、07年には下馬評を覆してNBAファイナル進出を果たすなど、順調に優勝へ向けて実績を積み上げていった。しかし、08年以降は毎年優勝候補に挙げられながらもマジックやセルティックスの壁を越えることができず…。

 

 10年にはドラフト同期のドウェイン・ウェイドとクリス・ボッシュと共にヒートで“スリーキングス”を結成するに至った。移籍直後のレブロンは全米中の非難の的になったが、チームの成果は見事なものだった。一躍リーグ最強のパワーハウスとなったヒートは11年こそマーベリックスに敗れたが、12年、13年はNBA連覇を達成。レブロン自身も2年連続でファイナルMVPを受賞したことで、無冠のキングから正真正銘のキングとなったのだ。

 

 その後、14-15シーズンからキャブスに復帰し、4年連続でファイナル進出(レブロン個人としては8年連続)。16年には崖っぷちの1勝3敗から奇跡の大逆転優勝を果たした。この年の相手はレギュラーシーズンでNBA史上最高勝率(73勝9敗)を記録したウォリアーズ。前年のファイナルで敗れたライバル相手の逆転優勝、そして何よりも自身をドラフトしてくれた地元球団にとっての初優勝とあって、レブロンの目には涙があふれていた。ヒートの時代は喜びで優勝時の感情を表現していたが、キャブスでの初優勝には感極まるものがあったのだ。

 

 使命を果たしたレブロンは18年オフにレイカーズと契約。10年のヒート移籍時には非難轟々だったキャブスのファンたちも、このときは地元の英雄の門出に理解を示していた。レイカーズでの初年度こそ、自身のケガもあり05年以来初めてプレーオフを逃したが、今季は新加入のアンソニー・デイビスとのコンビを軸に再びファイナルへ。隔離状態のバブルでの戦いを今年1月に急死したコービー・ブライアントへ捧げる優勝という形で終えた。

 

 そんなレブロンの物語をイラストレーター kira_mine さんのイラストで振り返る。最新号をお楽しみに!

 

Illustration by kira_mine

 

(月刊バスケットボール)



PICK UP